クリスチャンホームの建て上げ 「子供に御言葉を教える」

申命記6:4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。 6:5 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 6:6 私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。 6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。


この御言葉は特にホームスクーラーにとってはテーマの御言葉ですが、 御言葉を子どもに教えることは子育てにおける基本事項の一つです。


使徒 20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。


パウロがこの言葉を語った背景を思い起こしてください。 パウロはエルサレムに向かう途中にミレトから使いを送ってエペソの長老達を呼び集めました。 長老、特に監督と呼ばれる長老は今日で言うところの牧師のことです。パウロは彼らと、もう会えないかもしれない。と感じておりました。 それと同時に、この先何が起こるのかも知っておりました。

それは群れの中に狼が入ってきて荒らしまわることです。

使徒20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。

子育てが終了し、子どもを社会に送り出す親の心境はこのようなものではないでしょうか?
子どもの性格も弱さも知っています。しかし、いつまでも親が共にいるわけには行きません。
御言葉をしっかりと教えることによって、神の恵にゆだねることができるのです。


その方法
1)親が生活の中で語る御言葉
2)暗唱聖句
3)聖書の読み聞かせ
4)朗読させること
5)御言葉を音で聞かせる


1)親が生活の中で語る御言葉

もちろん、親が御言葉を語ること以上に、それを行なうことは重要です。
その話をすると長くなるので、ここでは省きますが、それが大前提であることは言うまでもありません。

それは、それとして、生活の中のさまざまな場面において、親の口から御言葉によって言葉が語られ、御言葉から解説されることはとても大切です。

このような言葉がありますが、
マタイ 4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

先に、子どもにとって神と親の区別がつかない。という話をしました。その原則を当てはめるならこういうことです。
「子供はパンだけで生きるものではなく、親の口から出る一つ一つの言葉による。」

それでは、実際的にどのようにして御言葉を与えるのでしょうか?
それは、 何を用いてでも出来ます。

たとえば、ぶどうを食べるときに、ぶどうの実が房につながっているのを見せながら、幹から栄養を受け取っていることを話して、以下の御言葉を教えることができます。

ヨハネ 15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。


2)暗唱聖句

子どもというのは御言葉を教え親しませるのに最適の時です。 一つ目の理由は、記憶力がよいので、暗唱聖句を覚えるのに最適なときだからです。小学生は動機付けさえ与えたらこどもはいくらでも御言葉を暗唱することが出来るでしょう。

励ましのために小さなしるしとしてのご褒美を与えるのも良いでしょう。 たとえば、シール帳にシールを張っていくという具合です。
物を与えたりお小遣いを与えることは、動機が正しくなくなる可能性があるので避けたほうが良いでしょう。もちろん、何か大きな目標を達成した結果として何かを与えるのは悪いことではないと思いますが。

いずれにしても最も大きなご褒美は親からの賞賛です。 たとえばステッカーを与えるにしても、親からの賞賛と一緒であるべきですし、 また、そのシールに値打ちを与えるのも親の言葉です。


3)聖書の読み聞かせ

一般的に読み聞かせには次のような効能があることが知られています。

1)語学能力
2)心の成長、情操教育
3)考え方の視野が広がり、想像力も豊かになる
4)親子のコミュニケーションに効果

子どもの理解力に応じた文章で書かれた聖書を用いるのが理想です。


4)朗読させる

文字が読めるようになったら、朗読させるのもよいでしょう。
これもまた、年齢に応じた聖書を用いるのが理想的ですが、日本語の聖書には振り仮名がうってあるので、ひらがなさえわかれば意外と思ったよりも低い年齢の子どもでも読ませることが出来ます。

朗読するときに3つの意味で御言葉に触れます。
@御言葉を目にする
A御言葉を自分の口で告白する
Bその告白を自分の耳で聞く

ローマ
(改)10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

何歳から大人と同じ聖書を与えるべきかといえば、文字が読めるようになったら与えて読ませるとよいと思います。
普通聖書には振り仮名が振ってあるので、大人が想像するより小さい年齢の子どもでも読むことが出来ます。

しかし、ただ、与えっぱなしにしないでください。大人やあるいは年上の兄弟と一緒に読んでください。
聖書をぽんと渡して読んでおきなっていうのは無理ですから。

誕生日やイエス様を心に受け入れた時、あるいはその記念日など何か象徴的な時に渡すとプレミアム感が増します。


5)御言葉を音で聞かせる

幼児は聞いた音を、録音したものを再生させるかのように覚える能力があります。
これを用いない手はありません。

音楽のリズムに乗って教える方法はどの年齢でも有効ですが、 特に幼児にとっては有効でしょう。

もうひとつは御言葉そのものではありませんが、DVDの聖書物語を見せることです。
これは、ストーリーを理解するうえで、非常に効果的です。

また、映像で見せるわけですから、かなり印象に残ります。
大人だと一回見た映画はよっぽど気に入っていなければ何度も見たいとは思わないものですが、子どもだと何度見ても飽きないようです。

聖書物語のDVDというものがいくつも売られています。
もし、外国語版を見せるなら、ただそれを見ているだけで子どもが言語を習得してしまうというメリットもあります。英語版だったら、もうその数は数え切れないほどありますし値段も安めです。

私達の三女は2歳の時から中国語のDVDを見せました。というかまずそれを見なければ他の言語のものは見てはいけないというルールを作りました。あれから4年ぐらい発ち、今では、中国語をかなり理解し、楽しそうに笑い声を上げながら見ています。


■ 聖書物語のDVDのデメリット

そのような大きなメリットのあるDVD聖書物語ですが、それにはデメリットもあります。

それはまず第一に、イメージが固定されてしまうこととです。
たとえ、その内容が聖書の内容に沿っていたとしても、実際本当にそうだったかについては誰もわかりません。

また、時には聖書に書かれた事実と違うことが描かれていることも少なくありません。
あるDVDではイエス様が十字架にかかったときに、地震が起こり地面が割れたのですが、そこまでならいいのに、地面から炎が燃え上がって兵士達を焼き尽くしました。
これは極端な例ですが、多かれ少なかれ事実と異なる情報が含まれます。

それを見るときに、間違った情報が入っている場合があるのです。
大人もそうですが、子どもは特にそのインフォメーションは目から入ってきます。

結論としてはDVDを見せることが悪いものではありませんし、私の家でもそれを見せています。

親がかかりっきりでなくても一人で見ることが出来るので、ある意味親の手がかからないので便利な面があります。
ただ、見せっぱなしではいけません。


 解説する
一番よいのはDVDを見せっぱなし出はなく、親が横に座ってその内容を把握し、必要に応じて説明することです。
たとえば、プリンス・オブ・エジプトという映画があります。
その中でモーセがパロと対決する時にパロの魔術師が魔術を行ないます。
そういったときに、子どもに説明します。
これは魔術といって悪魔の力で奇跡を行なうことで悪いことだと教えるのです。

これは聖書物語だけに限ったことではありません。

世の映画を見せるときにもそうです。
悪い影響を与えないように、映画を一切見せないという家庭もありますが、私達は一切見せないわけではありません。
それは、子どもはいずれ世の中で自分でよいものと悪いものを見分けなければならないからです。
私達の考え方は全てを遮断するのではなく、積極的に解説することによって自分で見分ける力を養わせています。

でも、暴力、性的なもの、その他悪い影響を与えるシーンは、リモコンを操作して飛ばして見せます。
私達はリモコンを片手に映画を見ます。