クリスチャンホームの建て上げ 「5日目:良い夫婦関係は健全な子育ての基本


良い夫婦関係は子育ての基本
エペソ6章に子どもをどのように育てるのかについて書いてありますが、その1章前の5章には 夫婦に対する教えが書かれてあります。

つまり、よい夫婦関係は成功した子育ての為の土台だということです。

エペソ 5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」 5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。 5:33 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。


夫婦の関係が悪いときにさまざまな弊害があります。そのうちのひとつは子どものアイデンティティーの崩壊でしょう。夫婦の関係が悪いときにそれはこれを意味します。

すなわち、「私は夫から愛されない女の子ども」である。
あるいは「私は妻から尊敬されない夫の子ども」であるということです。

つまり、その子どものアイデンティティーに深い傷を残し、低い自己像を植えつけられてしまいます。

「機能不全家族」あるいは「機能不全の夫婦」という言葉をご存知でしょうか?
親がアルコール依存症であったり、夫婦の関係が悪いときに、その子供に見られる症状があります。それは、拒絶、無共感、境界線の欠如、孤立、対立などといったものです。


教会でこのような話をすると多くの人はこう考えます。自分たちはそれほど仲が悪くはない。
コミュニケーションをそれほどしているわけではないけれど、別に喧嘩もしないというのです。
一緒に教会にも出席して、奉仕もしている。

確かに機能しているでしょう。普通の家庭の子供であるなら、それで十分であるかもしれません。
しかし、クリスチャンホームの場合、ちょっとハードルが高くなります。

何度か話しているように、子供にとって親は神様です。そうですね。
神様って、父、子、聖霊でひとつの神です。アーメン
父子聖霊が分裂していたらそれは絶対にあってはならない状況です。この世界が崩壊してしまいます。

第1コリント 11:3 しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。

この御言葉を読んで皆さんはどう感じるでしょうか?
順列があり、それは「父なる神、キリスト、夫、妻」ということです。
別に今、神学的な話をしたいわけではありません。ただ、言いたい事は、
妻がキリストであるなら、父なる神は夫であるということです。

ちょっと想像してみてください。キリストが父なる神に対して・・・
コミュニケーションする気にはなれないけれど、別に険悪な関係じゃないからいいよね。
あなたとは親密な関係になる気はないけれど、妻として役割を果たしているからいいよね。

そんなことがあってはなりません。
もしキリストと、父なる神、また聖霊との間にほんの少しでも溝があったら世界が崩壊してしまいます。

同様に夫婦の関係も、ただ、家族としての機能を果たしているだけでは十分ではありません。特にクリスチャンホームではそうなのです。

黙示録 3:15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。


 
夫婦が良好な関係を築くための教えにはさまざまなものがあります。
それらはよいものです。
でも、今日は「一日5回愛しているよ」と言うというような教えはしません。

もっと根本的な方法です。夫婦のあり方を根本から作り変える方法です。

その大切なこととは「夫婦の霊の一致」です。


 大切なことは夫婦の霊の一致です。

伝道者の書
(改)4章12節)もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

この御言葉は、夫婦の教えの為に良く語られるものです。
伝統的な解釈では、「夫婦とは二人でひとつではなく、その関係に神様を加えて三つでひとつである」という教えです。
それはすばらしい教えですし、私もそう教えていますが、今日はそれにもうひとつの解釈を紹介したいと思います。
その三つ撚りの糸とは「霊、魂、肉体」の三つを表しています。「夫婦とは霊、魂、肉体の三つで結ばれていく。」のです。男と女が持っている肉体、心、霊この三つがバランスよく結び合わされるときに、夫婦の関係は三脚のように安定するのです。

夫婦なのですから、体が一つになることや、魂が結びつくことについてはそれがどのようなものかはある程度理解できると思います。

しかし、霊が一つになるというのはどういう状態でしょうか?
また、どのようにしたら一つになることができるのでしょうか?

私たちはクリスチャンとして歩む上で「霊の一致」という言葉をよく使います。たとえば「夫婦が効果的に立て上げられるのに霊の一致が重要だ。」というような使い方をします。それでは夫婦が霊をひとつになるにはどうすればよいのでしょうか。一緒に祈ることでしょうか。一緒に賛美することでしょうか。もちろん、それらは良いことですがそのような方法は別に夫婦でなくてもできる方法です。しかし神は夫婦にしかできない特別な方法、しかも強制的に強力に霊をひとつにする方法を準備しています。

第一コリント 6章16節〜17節)遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。

この御言葉はキリスト教会ではたまに引用されます。多くの場合、結婚外の関係でセックスをするときに、相手と霊が結びついてしまって危険です。相手の悪い霊的影響を受けてしまいます。
ですから自分自身を清く保ちましょう。そのようなテーマではないでしょうか?

もしそうだったら、そんなに強力に霊をひとつにする方法があるのだったら、それを使わない手は無いのではないでしょうか?知らないうちに、強力に、結びついてしまう。

これは夫婦が霊において結びつけられることを知るための鍵となる御言葉です。遊女(売春婦)との関係を例にして語られているので視点がぼやけてしまいがちですが、言わんとしていることは「セックスというのは非常にスピリチュアルなものであり、祈りや賛美によって主と交わるときに人の霊が主とひとつになるように、セックスをするときに、相手の人と霊が結びついてひとつになる。」ということです。
ですから、セックスをするときに結ばれるのは肉体と心だけではありません。夫の霊と妻の霊が結ばれるのです。その三つで結ばれるときに非常に堅固な結束となります。

それがセックスです。第一コリント6章15節〜17節に書かれた言葉のようにこれを通じて、夫婦はいやがおうでもひとつとされるのです。



これは大切な話です。
そして、それはひとつの大きなバロメーターです。
夫婦の間に潤いが無ければ、わだかまりがあるなら親密な関係を築くことが出来ないからです。

もちろん、私達もただ、すればいいといっているわけではありません。
しかし、考え方の順序を変えることによって、今まで出来なかった突破を与えることが出来るのです。。

普通は夫婦がうまくやっていくための話といえば
愛の五つの言語とか、何か良い話をして、そして、最後にチョロッとセックスの話が出るものでしょう。

しかし、
@夫婦が霊において一致する必要があることを知り
Aそのためにセックスが最高の手段であることを知り
Bその関係がうまく行かない原因となっている、問題、すなわち、コミュニケーションや、優先順位、@@
などといった問題を取り扱うなら。
C結果的に、霊において、魂において、身体において、癒され、解放された、まさに一致した夫婦の関係が築き上げられるのです。

そこそこ、うまく行っている夫婦はたくさんあります。
どこまでうまくやればいいのですか?
どこまで夫婦がコミュニケーションすればよいのですか?
こういった事柄には達成すべき、到達点があいまいです。
ひとつの到達点を与えます。もちろん、これはひとつの到達点、一つのバロメーターに過ぎませんが、
そのひとつの到達点とは夫婦がきちんとセックスをすることが出来るということです。

まだ納得していない人がいると思いますので、話を続けますが、
夫婦がセックスをすることの大きな効能について話をしたいと思います。



律法を守り行わせる
私たちは聖書に書かれた高い基準の生活を読むときに、自分にはできないという思いで途方にくれてしまうかもしれません。どのようにすれば聖書の言葉を守り行うことができるのでしょうか。それは人の力ではできません。
そのように律法を守り行えない人の為に神は最終最後の究極的な方法を備えられました。それは人の心に律法を刻み付けることです。

エゼキエル 36章27節)わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。

私たちの内に住んでくださっている聖霊の力によって私達は変えられ、人生において神の高い基準を歩んでいくことができることを私たちクリスチャンは知っています。霊を住まわせることによってそれまで不可能であったことを実現させれるという原則は夫婦の関係においてもそのまま起こるのです。夫婦の関係は神と人との関係の雛形だからです。

夫婦という存在は先に語ったように「互いのうちに互いの霊を住まわせる」ものです。相手のうちに自分が宿っているのであるなら伴侶はもはや他人ではなく自分自身なのです。
エペソ5章にあるように「自分の妻を愛する者は自分を愛している」のです。

エペソ  5章28節) そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。

ですからがんばって伴侶を愛する必要はありません。スピリットにおいて一つなのですから、伴侶を愛することは自分自身を愛することであり、逆に自分を愛することは伴侶を愛することなのです。

ガラテア 2章20節) 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

ガラテア書2章20節に 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」という言葉があります。このガラテア書の言葉を夫婦の関係に置き換えるならこう言うことができるでしょう。
「私の内に妻が生きています。もはや愛さないでおこうと思っても愛してしまう、憎もうとしても憎めな。」夫婦の霊がひとつとされることによって夫婦がいやがおうでも一致させられるのです。

決してく少なくない数の夫婦にとって「結婚生活」とは大きな戦場かもしれません。夫婦という関係はもっとも、祝福された人間関係であると同時にまた、もっとも問題が生じる人間関係でもあるのです。ある人は「結婚生活というものは、うまくいけばこの世の天国、失敗すればこの世の地獄。」と語りました。「結婚は人生の墓場」という言葉があるのもうなづけます。

ですから、一ついえることは、その戦場では今までの武器だけでは戦うには十分ではないということです。今までの武器とは「伴侶に何かを語る前に一度言葉をのみこみましょう」という実践的な知恵であったり、「互いに愛し合いましょう」という教えなどのことです。もちろん、夫婦がうまくやっていくための実践的な教えは必要でしょうし、また聖書の言葉は真実であり人を作り変える力がありますが、多くの問題はどうしてよいかわからないことではなく、何をすべきかわかっているのにそれを行うことができないことがあります。
ですから、画期的な問題解決のためには神が計画された特別な方法を用いなければなりません。その特別な方法とは、互いの霊を互いの内に住まわせることです。霊が互いの内に宿るなら、いやがおうでも夫婦は一つにされるのです。

誤解してほしくないことは、「SEXすれば一致できるんだ、仲良くなれるんだから、とにかくしろ!」などという教えをしているわけではありません。いったん関係が悪くなった夫婦がそのようになるには関係修復の多くの過程が必要です。すなわち行き違いを正したり、心の傷が癒されている必要があります。良いコミュニケーションが必要です。 

それと同時に、たとえ関係が最高によくはない夫婦であったとしても、そういった中ででもとにかくセックスをした結果、それまで超えれなかった隔たりを飛び越えることができたという体験談をいくつも聞いております。


信者の伴侶は聖められている

こういう教えをすると、よくある質問は、それでは未信者の夫を持つ人はどうなるのかということです。

第一コリント7章13節14節には「未信者の伴侶はきよめられている」。と書いています。

第一コリント 7章13節〜14節)また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。

この「信者でない夫は妻によって聖められている」という言葉はどういう意味でしょうか?もちろん、聖いといっても自動的に救われているという意味ではありません。救いというのは個人が一人一人自分で決心しなければならないことであり、ここで言う聖めは救いとは別のことです。しかし聖書はたとえ未信者の夫であっても妻に対してセックスをはじめとして結婚生活のあらゆる領域において霊的な祝福を妻にもたらすものとして十分な聖い器であると語っているのです。どのようにしてそのような聖めが起こるのでしょうか。それは出エジプト記29章37節に「祭壇に触れるものはすべて聖なるものとなる」とあるようにクリスチャンの妻との交わりによって夫も聖いものとされるのです。

出エジプト 29:37 七日間にわたって祭壇のための贖いをしなければならない。あなたがそれを聖別すれば、祭壇は最も聖なるものとなる。祭壇に触れるものもすべて聖なるものとなる。

ですから、もしあなたが未信者の伴侶の救いを願っているのならスピリチュアルな方法で触れていくべきです。その霊的な行動のひとつはセックスです。伴侶に触れることは伴侶に対してミニストリーをすることを意味します。一緒に過ごす時間を楽しみ喜んでください。セックスを楽しんでください。それは夫婦に大きな霊的祝福をもたらし伴侶の救いを早めることでしょう。

ある地方で講演会をしてから1年後にまたその地域で講演会をする機会がありました。講演の後である女性が私たちに近づきこう言いました。
「以前の私はだまされていたのです。夫に触れられるのがいやで子供が欲しかったからセックスはしたけれどその後はほとんどする事はありませんでした。しかしあなたたちの昨年の講演を聞いてから目が開かれました。夫は喜んで私を受け入れてくれ夫婦の関係が良好になり、今私は本当に幸せです。

確かに私たちが講演をした後にしばらく経ってからこのような証を聞かされることが良くあります。それまで未信者の夫とのセックスに積極的になれなかった信者の妻が心を開き態度を変えたときにさまざまな変化が起こっています。
クリスチャンの妻が積極的にセックスをすることによって未信者の夫が救われると言う証を私はいくつも聞いています。

未信者であっても伴侶が聖められている事や性生活の充実が霊的な充実をもたらすこと、そして時には魂の救いにつながることについてはこれまで教会ではほとんど語られなかった事です。だからこそ、それを一旦実行に移すなら驚くほどの変化を見る事ができるのです。