クリスチャンホームの建て上げ 「子供を訓練する」


参考のYouTube


(親子講演)正しい体罰を伴った子育ての効能・17歳のユースの証言(15/09/24 )


子どもをどのように訓練するのか、というのはひとつの大きなテーマです。
それには、 振る舞い、他の人を気遣う、整理整頓、与えられた責任を果たす、勉強する習慣、
などといった、さまざまなテーマがあると思います。

そういったことについては、世にある本やネットの情報でも学ぶことが出来ますので、省略いたしますが、子どもを訓練する上で、目指すべきものは「親への従順」「親に従うこと」です。

ただ表面的に従うだけでなく
1)親に従う
2)すぐに従う
3)喜んで従う
これらのことが必要です。

1)親に従う
子どもにとって親は人生で最初に出会う、権威者です。
ですから、親に対する従順を学んでいるなら、その後の人生において、教師や上司、国家権力に対する従順を学ぶことが出来ます。

また、親は神を代表する存在なので、親に従うことを学ぶときに、神に対しても従順であることが出来るのです。

親に従うことは、子どもを育て、訓練する上で重要な事柄です。


2)すぐに従う
同じ「従順」でも、すぐに従う必要があります。

ある牧師はこういっていました「私は3つ数える間に従わなければならないと教えている。」
「1,2,3」と数えるのかと思ったら。30秒ぐらい立ってから次の数を言うのです。
それはつまり、3を言うまでは従わなくてもいいと教えているようなものです。

あるケースでは、親が何度も子供に指図をするのですが子どもは従いません。
親が何度も子どもに命令するのですが、子どもは従いません。
親も、いらいらしてそのたびごとに声のトーンが上がるのですが、従わないのです。
5回目ぐらいに、親がかんかんに怒った顔をして、スパンク棒を振りかざして、近づいてくるときにやっと従うのです。
子どもがやっと従ったということで、親はスパンク棒を下ろして、帰っていくのです。

これのどこが間違いなのでしょうか?
どうして子どもはすぐに従わないのでしょうか?
それは、子どもは親がかんかんに怒るまでは従わなくても良いという訓練を受けているからです。
そして、スパンク棒は脅しの為のものであることを知っているからです。

最初からスパンク棒を用いていたら、すぐにしたがっていたことでしょう。


すぐに従わなければ、御心を行なわないばかりか、御心と正反対のことをしてしまうことだってありうるのです。

民数記14:40 翌朝早く、彼らは山地の峰のほうに上って行こうとして言った。「私たちは罪を犯したのだから、とにかく主が言われた所へ上って行ってみよう。」 14:41 するとモーセは言った。「あなたがたはなぜ、主の命令にそむこうとしているのか。それは成功しない。 14:42 上って行ってはならない。主はあなたがたのうちにおられないのだ。あなたがたが敵に打ち負かされないように。

この結末はみなさん語存知だと思います。
彼らは、すぐに従わなかったけれど、最終的に従ったのだからそれでよいと考えました。
あることについては、それが赦されるかもしれません。
しかし、あることについては、タイミングを逃した場合には、逆の結果をもたらすこともあるのです。


3)喜んで従う
どうせ従うなら喜んだ心で従う姿勢が必要です。

子どもが従ったとしても、良い心で従うのでなければ、それは正しい従順ではありません。


従順の訓練についてまず書きましたが、実際的に私達が取り扱うべき分野は次の3つです。

従順
悪い心の態度

これらを取り扱うための方法が聖書に書いてあります。
それが懲らしめです。

そのようなわけで、この時間は懲らしめ、特に体罰を伴った懲らしめについて話をします。

こらしめについて教えるには、実際には多くの時間を裂く必要があります。
妻がCFNJ聖書学院で懲らしめ、体罰について教えるときに、一番最初のクラスはまず、多くの学生が凍りついた状態になります。
1学期かけて何度かにわけて少しずつ話すうちに徐々に理解していく、そのような内容の教えです。
ですから、みなさんに理解してもらえるかどうかはわかりません。

「チャイルドトレーニング」という本があります。
私の教会ではこの本は子どもを持つ全ての親に対して手元においておくべき本として紹介しています。
世間一般で言うなら、厳しい本です。 しかし、良い内容です。

(リンク)Amazon.JP
https://goo.gl/APGMJX


懲らしめに対して多くの誤解があります。
それについて知るには、まず、大前提を知る必要があります。
大前提は愛です。

ヘブル 12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。
 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」
 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

この「愛」という前提ががぼやけると懲らしめというものが理解できなくなってしまいます。

もうひとつ知るべき事はこれは子どもを形作るための神の方法、神のデザインだということです。

箴言 22:15愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。

愚かさという悪い性質は、もともと子どもの心にあるのです。子どもはそれとセットで生まれてきます。そして成長と共にそれが現れてきます。それを断ち切ってあげなければならないのです。
それが懲らしめです。


箴言 23:13 子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。 23:14 あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。

子どもの命を救うために何が必要でしょうか?それはムチを控えてはならないということです。

懲らしめることがいのちを救う?
どうやって救うのでしょうか?
私はこの言葉の意味が良くわかります。
私は放任主義の家庭で育てられました。
そして、何度も死にそうになりました。

あるとき妻が私に質問しました。
「あなたは放任主義の家庭で育てられたのにどうしてそんなに、懲らしめや従順についての原則を知っているの?」
私はこう答えました。何度も死にそうになって、痛い思いをして学んだ。」とね。


旧約聖書の時代に、親に反抗的な人はだれもいませんでした。
なぜでしょうか?

申命記
(改)21:18 かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは、
21:19 その父と母は、彼を捕え、町の門にいる町の長老たちのところへその子を連れて行き、21:20 町の長老たちに、「私たちのこの息子は、かたくなで、逆らいます。私たちの言うことを聞きません。放蕩して、大酒飲みです。」と言いなさい。 21:21 町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。イスラエルがみな、聞いて恐れるために。

反抗的な態度を持っている子どもは、コミュニティーが彼を殺したのです。

放蕩息子の父親が、息子が帰ってきたときにこういいました。
「この息子は、死んでいたのに生き返った」といいました。
それは、律法によれば彼は死に値するものだからです。

(改)15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた 。

今日、親に逆らう子どもをコミュニティーが殺すことはありませんが、 親に逆らう子どもがコミュニティーを滅ぼしています。
今日の社会が悪くなっているのは、こらしめを子どもが受けてこなかった結果でもあるのです。


「不従順、 悪い心の態度、 罪」
これらは、心の状態、霊的状態に関することです。
これらのことについて取り扱うために懲らしめを行なうのです。

子どもの弱さや、未熟さに対して行なうのではありません。

 多くの親は勘違いしています。
懲らしめを与えるべき場面で与えないで、与えるべきで無い場面で与えています。

不従順、悪い心の態度、罪」そのような時に懲らしめを与えないで、
子どもが失敗したときにしかる親がいます。

具体的に言いますと
親を叩いたり、うそをついたり、呼んでも来ないときに懲らしめずに、
水をこぼした、歩いてて転んだ。」というときに、子どもをしかるのです。

なぜでしょうか、子どもの失敗は、親にとって仕事を作ります。小さい子どもが水をこぼしてもふき取るのは親です。面倒なことです。
子どもが失敗したときに親が恥ずかしい思いをします。
それで、しかるのです。

でも、子どもが小さなうそをついても、困りません。呼んでも来ないときであっても、子どもはそのようなものだと思って気にしないのです。

ある時、ある親がこう質問してきました。
うちの息子は私の首を絞めるのです。
最近は力がついてきて、本当に息苦しくなります。どうしたらいいでしょうか?
どうしたもこうしたもありません。やめさせてください。いつか殺されてしまいます。

心の悪い動機と罪を取り扱うべきなのです。

これに関しては、コーチングが必要です。
チャイルドトレーニングに書かれているような厳しい教えを実行するには、ただ、頭だけで教えられたのではできません。


■技術的なこと

技術的なことは省きますがいくつかを書くなら。
叩くのはおしりがいいでしょう。
棒を使う人がいますがよくありません。
へらのようなものが一番です。
棒で痛みを感じる力で叩いたら筋肉や骨にダメージを与えてしまいます。
へらや靴べらのようなものをスナップを利かせるようにして叩くなら、皮膚の表面だけに効果的に痛みを与えることが出来ます。



知恵
私達が教えている、ひとつの知恵のある方法は、二つの杖を準備することです。
ひとつは懲らしめの為のある程度の長さのある杖、もうひとつは、小さい定規のようなもものです。

この二つを使い分けます。
それらにはそれぞれ機能があります。

■ 子どもの証言

懲らしめについて面白いのは、体罰を受けている子ども自身がそれがよいものであると証言していることです。
大人になって、過去を振り返って、あれは良かった。といっているのではありません。
先日教会の子ども達にインタビューして、スパンクについてのたずねました。
彼らはみな口をそろえてそれがよいものであったと証言しています。

それは小学生で、ある程度落ち着いてきた子どもの話だけではありません。
3歳ぐらいの小さい時であっても同様です。

三女は、歯を磨くのを嫌がりました。
それで、スパンクをしてたのですが、

そのうち、自分でスパンク棒を持って来て、それを傍らにおいて歯を磨かせておりました。

ギャーギャーして自分でコントロールできないようなときに、
「スパンク棒を持って来てー」と叫んでおりました。

 



今回の教えをするに当たって、私の子ども達に、こらしめがどのようなものであったかについて聞きました。

スパンクを受ける前はかなり恐ろしかったといっておりました。
これだったら地獄に行ったほうがましだ」とも言っておりました。
次女に至ってはスパンク棒を見ただけで、恐れで満たされておりました。

しかし、さらに続けてこう証言しています。
される前はすごくいやだけで、された後は心が軽くなって、天国に上るかのような開放感があったと語っております。

ですから、それは非常によいものであると記憶されているのです。

娘が、10歳ぐらいの時のことですが、私達はアウトリーチの一環で子供英語クラブをしているのですが、その小さい子ども達の世話を私の娘達もするのですが、子どもの世話に手がかかるので、
その親達にスパンクについて教えるようにと子どもに終えなぎされました。

12歳の時にスパンクについての本を書きたいといいました。小学生の内にスパンクの本を書いたらすごいと思われるからと言葉を付け加えていました。

おそらく、ジョシュア・ハリスがまだ独身の時に「恋をする必要は無い」という内容の本を書いたという話に刺激されたのかもしれませんが。

いずれにしても、スパンクのよさは子どもでも理解できるものです。
つまりよいものだということです。


私達が上手にスパンクをしたケースについて子供たちに話を聞こうと思ったのですが、覚えていないというのです。
うまくやったときは、ただ爽快感があるだけで、その内容を覚えていないというのです。