フラットアース信者を3分で論破する方法

どうしてフラットアース説を信じるクリスチャンがいるのか


フラットアース説とは日本語で地球平面説。読んで字のごとく地球が球体ではなく平面だという説です。

そんな馬鹿なことを言っている人など今の時代にいるものかと思われるかもしれませんが、実はアメリカを中心に想像するよりは大勢います。


この説によると地球は真っ平らな丸いお盆の上に天蓋がかぶさった巨大な箱庭のようなものだとしています。

大陸の形は北極を中心にした円形の正距離方位図法(国連のマークの世界地図)のような形をしています。その上を太陽と月が円く回転しているのです。

※ 太陽の高度は480万メートル(地球の半径よりは70%ほど少ない数)

地面の下に何があるのかはわかっていない。
南極は円形のお盆を取り囲む高い氷の壁であるとしています。

つまり、創造主とそのシステムを維持する超自然的な存在の継続的な介入なしには成り立たないシステムです。


ということは、この説を信じている人はクリスチャンが多く、あとはスピリチュアル系の人でしょう。いずれにしてもアメリカではクリスチャンが大多数だと思われます。


信じている人を説得するのは意外と難しい

こんな説はすぐに論破できると思われるかもしれません。
確かに、以下のようなトピックによって容易に論破できると思われるかもしれませんが、それは難しいのです。

@ 彼らの説では南極での白夜や極夜は存在できない

A 太陽がスポットライト的に一部を照らすのだったら、完全な日没にはならない。

B 日食の存在

ですから数分で説明で説明できる方法をお伝えします。


太陽の大きさ

フラットアース説によると、太陽の運行は、上空を飛行機が飛ぶようなものです。かなり高度ですし、大きさも違いますが、地面との距離は変わらず地面と平行に動くという意味では飛行機が飛ぶようなものです。

物のみかけの大きさは遠近法にあるように距離によって変わります。どのくらい変わるのかと言うと、基本的には距離が倍にになると高さは半分になります。

太陽が頭上の真上にあることを思い浮かべてください。その太陽との距離を1とします。

その後太陽が動くと角度が生じます。その角度がある一定の角度になると太陽との距離が倍の2になります。

先ほど言ったように真上に飛んでいた飛行機がさらに進んで、真上にあるときの倍の距離になったようなものです。

その時には太陽のみかけの大きさは半分になていなければなりませんが、実際には同じです。

その半分に見えるはずの角度は直角三角形の定規(半正三角形)を見ればすぐにわかります。その角度は90度、60度、30度で、一番長い辺と一番短い辺の長さの比率は2:1です。

つまり、太陽の角度が真上から60度傾くと(地上の水平から考えると30度の角度)太陽が半分の大きさに見えなければならないのです。


どうしてこのような説を信じるのか

それには二つの理由があると思います。

一つは、科学への疑いです。まともなクリスチャンであるならだれでも進化論が間違っていて創造主がこの世界を作ったことを信じていると思います。

進化論を否定するときに、その他の事柄についても疑う癖がつき、(それ自体は良いことなのですが)あらゆることを疑うようになったのです。

もう一つは、この説の流布と合わせてよく紹介されるのが陰謀論です。特にNASAの隠匿についてです。NASAがいろいろ隠したりだましていることについては私も同意する部分もありますが、彼らが疑わしいからと言ってフラットアースを信じるのはあまりにも理論の飛躍です。

そういった事柄の他には、どれだけこの地が偽りに満ちているのかという陰謀論がほとんどです。つまり、陰謀論に目覚めたときに、振り子の振れの一方から別の一方に大きく振れるように価値観が変えられることによって別の過ちを信じてしまうのです。


実際には、信じている人の実数よりも多くの数の人が情報を拡散させている

この疑似科学がどうして、拡散しているのかを考えてみたらそれはYouTubeの力によります。

とはいっても一般に言われているようなYouTubeの伝達力の事を言っているわけではありません。

YouTuberと呼ばれる人たちは、アクセス数アップの為にさまざまなテーマを取り上げます。その為に、どんなネタが受けるのかを調べます。調べてか結果フラットアースが話題になっているようだと感じたら、それをアップします。それを見て他のYouTuberもアップして、さらに広がります。

ですから、実際に信じている人は以外に少ないことでしょう。


この傾向の弊害

フラットアースを信じる人たちはアメリカの福音派の中でもごくごく少数ですが、世の人々がフラットアースを否定するときに、同時に取り上げられるのが彼らは進化論を信じていないということです。

あるクリスチャンはアメリカ人の十分の一がフラットアースを信じていると言いますが、そんなことは絶対ありません。

いずれにしても、この論争を世の人が客観的に見るなら、創造論を信じることはフラットアースを信じることと同じぐらいばかげているという感想を持つことでしょう。

つまり、フラットアースを流布する人は結果的に間接的に神の創造に敵対する考えを広めることになり、福音に敵対しているのです。

フラットアース説を伝道の武器に使って信じる人が起こされる事もあるでしょうが、日本では、その何百倍もの人たちをつまずかせることになりかねないのです。