「キリスト教はなぜ大きくなったか」
志村真(中部学院大学短期大学部宗教主事
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ここで、初期のキリスト教徒の献身的なケアの姿勢について少し詳しく見て行きましょう。賢帝 マルクス=アウレリウス=アントニヌスの時代の165CE.激しい疫病が帝国を襲いました。天然痘と推定されるこの疫病は15年にもわたって猛威をふるい、全人口の4分の1から3分の1が失われました。さらに、251年のことです。今度ははしかが全土を襲いました。ローマだけで1日5000人が死亡したとの記録が残っています。
人々がばたばた死んでいく状況の中で、もっと恐ろしいことが起きました。それは人間同士をつなぐ絆がずたずたにされ、人々はより安全な場所へと逃げ出し、多くの患者が置き去りにされて死んだことです。あるいは、病人が家や町から追い出され、路上で死にました。そして、死体は埋葬されず、そのまま放置されたと言います。そのような中で、キリスト教徒たちは自分が感染することも恐れず、病人の世話をしたと、当時の文献に書かれています。しかもそのことは、家族や親せきの枠を超え、またキリスト教徒以外の人々にも行われました。そうした献身的なケアの根拠とされたのが、次の聖書のことばです。いずれもイエスの真正の言葉です。

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書7章12節)
「受けるよりは与える方が幸いである。」(使徒言行録20章35節)

キリスト教公認後の355年、ユリアヌスという皇帝が即位しました。彼はキリスト教への優遇政策を改め、ギリシア・ローマ宗教の復興を計りました。言わばキリスト教の反対者です。その彼が興味深い手紙をガラテヤ地方(現在のトルコ半島の一部)の大祭司アルキサノス宛てに書いています。(書簡84) その中に次のような表現があり、当時のキリスト教徒のあり方が描述されています。「・・・無神論(=キリスト教)をこの上もなく発達させた理由は、他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方の真面目さである・・・それぞれの町に救護所を多く設置せよ。外来者が、我々の人間愛にあずかることができるように。」(田川建三『キリスト教思想への招待』勁草書房、2004年、123ページより引用) キリスト教に反対したユリアヌスも認めざるを得なかったのが、キリスト教徒たちによる病人に対するケアであり、死者への尊敬であり、自らを律する倫理観でした。そして彼は、同じことを実践するようにと、ガラテヤの宗教家に勧めたのです。

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さて、公衆衛生学的に見るとき、こうしたキリスト教徒のケアの行為はどのような結果をもたらしたのでしょうか。具体的に言えば、彼女たちのケアはどれくらい死亡率を押し下げたのでしょうか。歴史学者のウィリアム・マクニールによると、今日のような抗生物質の投与などを受けなくても、食事の世話や、排せつ物や吐しゃ物の掃除、死体の速やかな埋葬などの基礎的な介護・看護によって、かなり死亡率を下げることができたと言います。(『疫病と世界史 上』中公文庫、2007年、199〜200ページ) それをスタークは、ケアによって死亡率が30%から10%に下落したと仮定して、キリスト教徒の飛躍的増加を計算してみせています。すなわち、キリスト教徒の間で死亡率が減り、またキリスト教徒のケアを受けた非キリスト教徒の死亡率が減り(それを「奇跡」と感じた人々もいたようです)、そしてそうしたケアによる回復を目の当たりにした人々がキリスト教に入信することで、キリスト教徒の数が飛躍的に伸びたと実証したのです。

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さらにキリスト教徒は死者を丁寧に葬りました。そのことが公衆衛生上の効果を発揮したのはもちろんですが、疫病の発生にパニックとなり、病に倒れた者を放置したり、乱暴に捨てたりしたことと比べ、死者を丁寧に葬ったことは、キリスト教の人間に対するあたたかな態度を映し出していました。また、どのような困難に直面しても、私たちの人生には意味があり、死後に神のもとに安らぐことができるという教えは、地上の厳しくも激しい現実にあっても心をおだやかにすることができたのです。
こうしたキリスト教の初期の歴史を見る時、現代に生きる私たちは「初心忘るべからず」を肝に銘じたい。こうした人々の実践には遠く及びませんが、少しでも見習いたいと思うものです。