新約聖書の間違った翻訳によって夫婦や家族という価値観は弱められてきた (22/05/31)

新約聖書を読むときに結婚したり、家族を世話したり、子どもを持つことに否定的に感じさせられることがあるかもしれません。

しかし、その多くが「完全に間違った翻訳」であったり、「そこまで聖書は言っていないけれど、訳文の選択が間違ったためにそう思わされている」ものもあるとしたらどう思われるでしょう。


最も間違ったものは第1コリント7章です。

ただ、幸いなことに2017年版では間違いが訂正されております。

第1コリント7章36節〜38節を見比べてみるなら、まったく意味が異なることがわかります。

古い翻訳は、「婚期を過ぎた娘を持つ父親が娘をどう扱うか」ですが新しい翻訳では「何らかの理由で婚約者に対して正しい扱いができなかった人が、正しく扱えるようになるまで結婚を延期するかどうかについて」の話です。

つまり、まったく異なります。この御言葉によって結婚できなかった人がどれぐらいいるでしょうか?


マタイ19章29節の御言葉もかなりインパクトがあります。

この御言葉によって家族をないがしろにしたり、捨てた人がどれぐらいいるでしょうか?

「家族を捨てる」の「捨てる」という御言葉はギリシャ語では「? 863. aphiémi (アフィエミ) 146回?行かせる、手放す」です。

つまり、握りしめるのではないという意味です。


その他にも結婚や子どもを持つことに否定的な御言葉がいくつまりますが、それらは第1コリント7章26節にあるように「 差し迫っている危機」という文脈の中で考える必要があります。


また、新約聖書を読むうえで知らなければならないことは

新約聖書は旧約聖書の土台の上にあるということです。つまり旧約の価値観(家族中心の価値観)と矛盾するようなことがあったとしても、それは、基本は基本として、それを補足するために書かれたと理解したほうが良いでしょう。

つまり、たとえば「結婚は神の御心だけでこの危機の時代にはちょっと・・」といった感じです。


そのようなわけで、聖書の極端な解釈によって、今日、結婚や家族と言う価値観が弱められております。

それに対抗するために私たちは普通以上に、それらを強調したりする必要も時にはあると思います。