アットホームなら良い雰囲気というわけではない (2023/08/26)

どこかの教会のホームページを見ていて、アットホームであることを売りにしている場合があります。それはそれで良いことですが、それがどういう意味なのかは知る必要があります。

単に教会が小さいのでそうなってしまう場合があります。

※ それでも、小さくても雰囲気が悪い教会もありますので、アットホームであるというのであればそれは良いことですが。


すべての人がアットホームを求めているわけではない

もちろん、すべての人がアットホームな教会を求めているわけではありません。

ただ、礼拝に出席して、誰とも関わらず、終わった瞬間に家に帰りたい人もいることでしょう。

私たちは個人の姿勢については、それぞれ自由なのですが、ただそのような人の多くは以下のような可能性があるので、それについてはできるものなら手助けをしたいと感じております。

@ 教会に傷ついていて、深く関わりたくない。

A 何らかの障壁があるが、礼拝出席を義務的に感じているので律法主義的に義務を果たすだけ。

そうであるなら、教会がアットホームな雰囲気を持っていることは、個人が抱えている心の葛藤を表面化させるための手助けになることでしょう。


誰にとってのアットホームなのか

今回特に取り上げたいのは「誰にとってのアットホームなのか」という問題です。

ある人がある教会に行き始めたときに、「この教会には一致があり雰囲気がアットホームなんですよ」と説明を受けました。

しかし、確かに仲は良さそうなのですが、何か違和感を感じたのです。それで分析して考えてみたら、その教会は、一つになるためにみんなが個人の個性を捨てて一致しているように見えたということです。

それに対してSCGは「それぞれ個人が個性を保ちながらもありのままの姿を受け入れ合い一致がある」とのことでした。


もし、前者の一致やアットホームであるなら、仲間内では居心地は良いかもしれませんが、外部から来た人にとっては居心地悪さを感じるかもしれません。

しかし、それぞれの存在が尊重され「裁かない裁かれない」雰囲気があるなら、外に向けてより多くの人たちの心に届くことができるのです。