祈りは父なる神にするものである (25/05/14)
祈りはどのように行うべきものなのでしょうか?
それは父なる神に対してするものです。
この件についてはマタイ6章6節に「あなたの父に祈りなさい」と書いていますし、キリスト自身も父に祈っているシーンが多く聖書に書かれているので、それほど混乱はないと思います。
にもかかわらず、祈る際に、イエス様と呼びかけて祈る人は意外と多いものです。
祈りのメカニズムについて父、子、聖霊の関係について御言葉から説明しましょう。
まず、祈る対象は父なる神です。
マタイ6:6 あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
マタイ 6:9 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
父のもとに行く道はイエス様だけです。
ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
聖霊は私たちの祈りを助けます。
ローマ8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
そのように祈りというものは父、子、聖霊の共同作業なのです。
それなのに「聖書のほとんどの個所は父なる神をたたえておりイエス様ではない」ということが理解できていなければ、キリストに祈るという事が生じてしまうのです。
私が知っている中でイエスに対して祈ったのは、 (使徒7:59)の
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」 という個所ぐらいのように思います。