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TR(テキスト・レセプトゥス)と一般の聖書と異なる箇所 (25/05/19) マタイ1:7-8 マタイ1:25 「初子」新改訳では子 マタイ6:13 マタイ19:17 「善い者」新改訳では良いこと マタイ24:36 「子も知りません」はTRにない、ただしマルコ13:32にはある。 マルコ1:2-3 「預言者たちの書」新改訳では預言者イザヤの書 マルコ9:44 新改訳では44節が存在せず、脚注に48節と同文が入るとしている マルコ10:21 わたしにしたがって来なさいの前に「十字架を取り上げて」が無い。 マタイ16:9-20 ルカ2:14 「地上には平和が、 人々の内には、よしとされる思いがあるように」。「みこころにかなう人々」だと全ての人への福音にならない。 ルカ2:33 「ヨセフとその子の母は」。新改訳では「父と母」になっている。 ルカ3:33 ルカ4:4 「神のあらゆる言葉」新改訳では「あらゆる」が欠けている。 ルカ4:44 ルカ9:54 「エリヤがしたように」が(改3、2017)では欄外にある ルカ9:55 「そして彼は言われた。『あなたがたは自分たちがどのような霊的状態にあるのかを知らないのです。』この文章は(改3)には欄外にあるが(改2017)にはまったく無い。 ルカ9:56 「人の子が来たのは、人のいのちをほろぼす為でなく、それを救うためです。」この文章は(改3)には欄外にあるが(改2017)にはまったく無い。 ルカ22:64 「彼の顔をたたき」が削除されている。 ルカ23:38 「ギリシャ語とラテン語とヘブル語で」が存在しないヨハネ19:21にはある ルカ23:42 「主よ」という呼びかけが存在しない。 ルカ24:42 「彼らは、焼いた魚の一切れと蜜蜂の巣を彼に渡した」 ヨハネ1:18 「生まれたひとり子である御子」が正しい。(※ 説明を読んだが違いがわからない。) ヨハネ6:11 弟子についての記述がない「弟子たちに分け与え、弟子たちは」が抜けている。 ヨハネ6:47 「私を」が欠如。キリストを信じることが救いである。 ヨハネ7:8 わたしはこの祭りに(まだ)上って行きません。「まだ」が削除されている。 ヨハネ7:53-8:11姦淫の女の話が削除されているが新改訳聖書には残されている。 使徒8:37 37節が欠けている「「(37節)ピリポは言った。 『もしあなたが全き心から信じているなら、よいのです』 彼は答えて言った。 『私はイエス・キリストが神の御子であられると信じています』」(TR 新約聖書)」 使徒9:6 パウロの応答が欠けている「(6節) 彼はおののきながら、また、驚きながら言った。 『主よ、私がどうすることを願っておられるのですか?』 すると主は彼に向かって言われた。 『立ち上がりなさい。…」(TR 新約聖書) 使徒 10:30 使徒19:16 使徒28:13 使徒20:28 (改3、2017)ともOK。間違った訳は「神の血」を御子の血としている。 ローマ3:22 ○「キリストの信仰」 ×「キリストを信じる信仰」 ローマ8:1 「肉にしたがって歩まず、御霊にしたがって歩んでいる」が存在しない。 ローマ14:10 「…キリストの裁きの御座…」(TR 新約聖書) 第1コリント5:1 コロサイ1:14 「彼の血を通して」が存在しない 第1テモテ3:16 「神は肉において現され」(TR) 新改訳は「キリストは」 ヘブル1:3 「御子は、ご自身を通して私たちの罪の清めを行われ、…」(TR 新約聖書)「ご自身を通して」が存在しない ヘブル2:11 「みな、一人の方に属しているからです」(TR 新約聖書)新改訳では脚注に異本として記載あり。 第1ペテロ4:1 「キリストが私たちのために肉に関して苦しみをお受けになったのですから(TR 新約聖書) 「私たちのために」が存在しない 第2ペテロ3:10 第1ヨハネ5:7 天において証をするものが三つあります。父と言と聖霊です。 第1ヨハネ5:8 地上において証をするものが三つあります。御霊と水と血です。
(RV)四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、
(TR)四日前、私はこの時間まで断食しており、午後3時には私の家で祈っていました。