異言とは何か (2025/05/30)


異言とはキリスト教用語ですが、原語のギリシャ語では「舌」を表す言葉であり、それは英語やスペイン語でも同様です。

異言が最初に語られたのは使徒の働き2章でした。

その時の異言は具体的な外国語であったようなので、異言というと外国語だと考える人もいますが、聖書を読むときに、様々なものがあることが分かります。

異言は、聖霊が語らせる超自然的なもので、大きく分けて以下のような特徴、性質があり、時に2つ以上の性質があります。

異言の意味や意義を聖書から読み取るときに、こういった違いがあることを理解しなければ混乱してしまいます。


.(1)人間には理解できない舌の動き

.(2)聖霊のバプテスマを受けたしるし

.(3)救いの証

.(4)個人の徳を高める

.(5)具体的な外国語

.(6)人には理解できない言葉

.(7)解き明かすことによって預言となる言葉


.(1)人間には理解できない舌の動き

異言を説明するのに、「舌の動き」というのは変に聞こえるかもしれませんが、わかりやすいのでそういたします。

act_14_23.htm

どうしてそうしているのかと言いますと、「異言と言われているものは実際には言語ではない」「マントラのように繰り返していう呪文のようなものだ」という批判を避けるためです。

人の知性では説明がつかないものなので、あまり分析しすぎるのもよくないと思います。


.(2)聖霊のバプテスマを受けたしるし

使徒の働きを見るといくつかの個所で、聖霊のバプテスマを受けたときに異言を語っております。

(使徒10:46) (使徒19:6)

「異言を語らなければ聖霊のバプテスマを受けてはいない」とは言いませんが、異言を語ることは聖書的な印なのです。


.(3)救いの証
これは上記の「聖霊のバプテスマを受けたしるし」よりもさらに根本的なことです。

(使徒10:44-47)

同様に「異言を語らねば救われていない」ということは決してありませんが、それが聖霊の内住を意味するとしたら、救いを表す一つのしるしとして有効であり、励ましを受け取ることができるのです。


.(4)個人の徳を高める
解き明かすことを期待されていないが個人的には有効な異言。

第1コリント14章には、異言を語るものは個人を建て上げると書いてあります。

(使徒14:4)


.(5)具体的な外国語
聖書に明らかな形で登場する最初の異言は「具体的な外国語」(使徒2:1-4)でした。

もちろん、聞く人にはそう聞こえたけど、実際には意味不明瞭な言葉であった可能性も無きにしもあらずですが、根拠の乏しいことについてあまり深入りしても何なので、ここは素直に具体的な外国語とした方が良いでしょう。

これは、素晴らしい奇跡的な事ですが、今日、そのようなことが語られたという報告はごくわずかです。というか聖書の中でも、最初の一回だけでした。


.(6)人には理解できない言葉

最初に記録された異言が、具体的な外国語だったので、それ以外は意味がないものだと考える人がいますが、聖書の記録を見ると、具体的な外国語は一回だけであり、解き明かされたという記録もありません。

もちろん、私達は解き明かすことを求めますし、時々解き明かしをしていると信じますが、理解できない言葉で終わることが多いという事を知っております。

おそらく、異言の多くは解き明かすことを期待されていないものなのだと思います。


.(7)解き明かすことによって預言となる言葉

第1コリント14章には、解き明かすことによって教会の徳を高めることができる異言について書いてあります。 (使徒14:13)

これは、もはや預言と同質と言えるでしょう。

むしろ、ただ預言を語るより説得力があるかもしれません。

というのも、異言を語る人と解き明かす人のチームワークだからです。

特に、具体的な外国語である異言が語られ、その外国語を理解しない人が超自然的に解き明かすような場合には、かなり説得力があることでしょう。

ただ、経験上感じることは、解き明かしというものは、外国語を通訳するのとは異なり、逐語訳というよりは、聞いた異言に対してインスピレーションを受けて語るような形のものが多いと思います。


デボーションの課題

1) 聖霊のバプテスマを受けていない人は、それを求めましょう。

※ 意味が分からない人は、信頼できる人に聞きましょう。

2) 解き明かしの賜物も求めましょう。