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教えはバランスをとるための一つの方策にすぎない。2025/9/23


教えとはしばしばバランスをもたらすための手段として用いられます。

わかりやすい例としては、ある極端な考え方に人の心が傾こうとしているときに、教えを聞かされることによって極端が解消されるのです。


ただ、ここで気を付けることがあります。

それは、極端な考え方そのものは(当たり前の話ですが)極端ですが、それを補正する為に聞かせる教えもまた極端だという事です。

極端だからこそ、先の極端を解消させることができるのです。

つまり、先の極端に染まっている人にとっては、後の極端の登場はバランスをとるためにはよいのですが、後の極端だけを聞かされる人にとっては、それもまた極端になってしまうのです。


私達の教会は、その成長過程において、さまざまな極端や伝統的な思考から解放されるようにと努めてまいりました。

しかし、教会のメンバー全員が、その過程を見守ってきたわけではありません。

ということは、後から加わった人にとっては、現在受けいている教会の教えというものは、バランスを欠いてる可能性があるのです。