4日目・9月9日・学びのテーマ:告白する

4日目:告白する

告白するという意味の中には前回見たように約束を宣言する。というものがありますが、今日は罪の告白(特に自分が犯したわけではない罪を代わりに告白すること)について再びネヘミヤやダニエルの行動から見ていきましょう。

ネヘミヤは主にその約束を思い起こしてくださるように訴える前に、罪を告白しました。自分の罪についてではありません。先祖と同胞が犯した罪についてです。

でも、単に「彼らは悪いことした」といったのではありません。自分が罪を犯した、自分の罪として告白したのです。

ダニエルも同様です。先祖の罪を自分の罪として告白し祈り求めたのです。(ダニエル9章4節〜17節)

こういった祈りは「同一化の祈り」と呼ばれるものです。

私達には仲介者としての役割が与えられているので、主に叫ぶことができなかった人たち、罪を犯し呪いの原因となった事柄に対して、重荷を持つなら、すなわち自分をその人と同じように身を置くことによってこのような祈りをすることができるのです。

ただしこのような祈りは、特別な状況の特別なみちびきによるものであることを知らねばなりません。

特に、いろいろな人が何度も「同一化の祈り」をしている事柄には注意が必要です。もし同じ事柄に対して何度も繰り返すのであるなら、それはバランスを欠いているというだけでなく、「先に祈った人の祈りには意味がなかった」、あるいは「その祈りを代表して受け取った人がいたのなら、その受け取りが十分ではなかった」といっているようなものだからです。

私達の祈りは積まれていくべきです。すなわち先人の祈りを意味があるものとして尊ぶことも大切です。

また、どのような動機でそれをするのかを知らなければなりません。


バランスを欠いてしまう側面があるとはいえ、同一化の祈りの力強さ、神の御言葉、神の戦略が無効になるわけではありません。

また、同じ事柄に対する祈りをしたとしても、それにはまざまな側面があります。昨年「恐山」へのとりなしのツアーを実施しましたが、恐山に祈りに行ったのはもちろん私達が初めてではありません。しかし、恵山とあわせて津軽海峡を渡って北海道から祈りに行ったことに大きな意義があったと思います。

私達はさまざまなところに配置されているのですから今、神が何を望んでいるのかをキャッチして前進していきましょう。


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