■2日目■選び、整え、新生

アブラハムは神に選ばれたものでした。この確信は私達に大きな助けを与えます。

神がアブラハムに「ソドムの滅びについて伝え、とりなしに導いた」理由はアブラハムの内に大きな計画があったからでした。

しかし、多くの問題は、私達は自分を過小評価してしまうことです。

エレミヤもまた、神から召しを受けたときに。自分はまだ未熟なのでできないといいました。しかし確かに主からの選びがあるのです。

エレミヤ1章5節〜8節を読みましょう。

(祈りのポイント)主の前に出て、確信をと召しを受け取りましょう。


●そのエレミヤに与えられた召しは次の御言葉にあるようなものでした。

エレミヤ1章9節〜10節

そうです建て、植えさせるための建設的な働きの前に打ち壊される必要があるのです。このことは先に分かち合った「2つの洪水」の話とも一致すると思います。


●エレミヤにとってのチャレンジは「ひき抜き、引き倒す」といってもそれは、彼の預言的宣言によってサタンの仕業に対して霊的に打ち壊すというものではなかったことです。

バビロンによる滅びが迫ってきており、神はかって北イスラエルを滅ぼすのにアッシリアを用いたようにバビロンを通じて南ユダを打ち砕く計画を持っていたのです。

つまり、彼は敵の手に下ることを宣言しなければなりませんでした。

それは、誤解を生じさせることでした。不信仰ともとられるからです。

それはもともとの神の計画ではなかったかもしれません。しかし、イスラエルがあまりにも堕落していたので神がそれを許されたのです。


それゆえ彼は堅く立たねばなりません。

そのようなわけで主は「彼らの顔におびえるな」とエレミヤ1章11節〜16節で言われたのでした。


●このような特殊な任務を全うするために、これまでと彼はまったく考え方を変えなければなりませんでした。

それまで常識であると思われていたことが常識ではなくなったのです。そして奇妙に思えることを神は用いられるのです。

たとえばエレミヤ3章16節において主は、「契約の箱についてもう誰も気に留めなくなる」と宣言されました。

契約の箱は、イスラエルの神の臨在の象徴であり、それは最も大切なものでした。

にもかかわらず、それが不要になるというのは、今日、私達の生活の中で「これはなくてはならないものである」と思っていたことすら重要ではなくなるということを意味しています。

私達の生活の中にもそのようなものがあると思います。それは何も趣味や嗜好品といったものではなく、生活に絶対必要であると思っていたもの、あるいは福音の前進絶対必要である「これこそ神の御心である」と思っていたものですら、明け渡す必要があるかもしれないことを意味しています。

しかし、それは良いことです。それについて「契約の箱」から見てみましょう。

ヘブル人への手紙9章7節〜9節が語っていることは、古い幕屋が存続している限り新しい道は開かれないと書いてあります。

新しい道とは「イエス・キリスト」です。イエスが来られる前に古い契約を象徴する契約の箱は隠されなければならなかったのです。

ですから、古い構造が壊され、必要不可欠だと思われていたものが失われたとしてもそれを嘆いていはなりません。神はさらに優れた道を準備しておられるのです。

(デボーションのポイント)自分のうちに変えられなければならない点が何なのかをたずね求めましょう。


エレミヤ書に書かれた驚くべき言葉はこれです。

エレミヤ書21章8節〜9節

エレミヤによって「敵の手に下ることが神の御心であると語られたのです。」

つまりそれは、人間的な方法で自分を救おうとしても、それはうまくいかないことを意味しています。

今に時代に神がどのような計画を持っているのか。最終的な姿を思い描いて、自分の理性では理解できなくても神の方法にゆだねましょう。