二種類の洪水 (10/05/09)
イザヤ書59章19節は「主は激しい流れのように来られる♪」(新改訳)という賛美の歌にもなっており、割と知られた御言葉です。また祈りの祭典に参加された方であるならトム・ヘス師がよく引用されているのでご存知でしょう。
ところが、この御言葉には別の翻訳があります。「敵は洪水のように押し寄せるが、主の御霊はそれに向かって軍旗を立てる。」(NKJ)という訳で、これは英語の代表的なキングジェームズ版をはじめいくつかの訳に見られます。
※軍旗:主力部隊を表す旗 騎兵隊を表す旗 王、王族を表す。
それは「どちらも正しい」ということです。
つまり、2種類の洪水、2種類の津波が存在するのです。
洪水のように押し寄せる御霊の注ぎの前に主は滅ぼしの洪水が起こることを許されるのです。
滅ぼしの洪水とは経済危機、パンデミック、地震などの災害、教会に対する霊的な滅びの力です。
彼らは(無意識のうちに)世の中が悪くなって患難を通っても自分は大丈夫、むしろ再臨が早まるので大歓迎という考え方をしているのです。
そこまで極端な考え方をしていなかったとしても、ある程度その神学の影響を受けてしまっていることは否めません。
この考え方の大きな欠点は将来起こる出来事(困難)を受け入れてしまいそれに対して戦おうとしなくなることです。このことについては「終末についての無関心の2つの理由」をご覧ください。
ところで、敵の洪水が来るという言葉を聴くと、今の世相を反映して多くの人は「経済的な問題」を思い浮かべるでしょう。
それは確かに来ますが、今、ここでまず最初に強調したいのは教会がへり下らされる出来事が起こることについてです。
それは霊的な問題であるといえるでしょう。なぜなら、神がまず取り扱いたいのは教会をはじめとしたキリストの体だからです。
神はしみもしわもない教会を花嫁として迎えたいのです。布のしわを伸ばすのに必要なものは、圧力と熱であることを思い出してください。
主はすべてを治めておられ、敵の洪水が起こることを主が許されているのはなぜでしょうか? それはマタイ7章24節〜27節の言葉が物語っています。
洪水が起こることを主が許されているのは、キリストの体が岩の上に建てられているのかどうかを推し量るためです。
主は終末の時代のための軍隊を召集しておられます。それは揺り動かされることの無い軍隊です。
その為のふるいわけがなされるのです。ギデオンの軍隊を思い出してください。最初3万2千人いた軍隊は300人に減らされてしまったことを。神は精鋭部隊を求めているのです。
もう一つの揺り動かしの目的は、揺り動かしによって私たちの古い性質が取り扱われた後に、主の本当の召しが現れてくるのです。
私は9年前から教会の牧師として立てられていますが、牧会3年目に大きな揺り動かしを経験しました。その結果教会のメンバーの数は半分になり、さまざまな働きが縮小していくかのように見えました。しかし、その後に主が何をなされたのでしょうか。
主が私たちの教会に対して持っている「本当にして欲しい召し」である「とりなしの教会としての召し」について理解したのです。
ですから、SIHOP.NETの情報を皆さんが受け取っている事は7年前の揺り動かしの結果現された神の実なのです。
後になって気がついたのですが、その出来事に先立って、私は教会における2002年の年越し集会にてヘブル人への手紙12章26節〜29節について語っておりました。
※ このときに、「決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれる」という言葉の意味を、自分で語っていながら、はっきりとは理解していませんでした。ただ、「レフトビハインドクリスチャン」のように希望的観測によって捕らえていただけのようでした。
主があらかじめ語っておられた事を知るなら、たとえ困難の中を通っても、自分が主の御手の中にいることを知り励ましを受け取っていたのです。主は今日まで私を導き、単に回復するだけではなく「預言的なとりなしの教会」へとつくり変え発展を与えてくださったのです。
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★ 2010年・祈りの祭典in北海道の祈りのリードの中で語ったメッセージ「2つの洪水」(MP3ファイル・パソコンのみ)