揺り動かし (10/05/09)

祈りの祭典で私達の教会が導く賛美の時間に「角笛吹き鳴らせシオンの山で」という歌を歌いました。「主の日が来る」ということで興奮する歌詞なのですが、この主の日が実際にどのような日なのか聖書を開いて調べる人はあまりいないようです。多くの人は再臨のことだと思っています。しかしヨエル2章にはなんと書いているでしょうか。

ここに書いているのは、火が焼き尽くす事や悲惨な荒廃についてなのです。

ところが、ここまで読んでも、まだ再臨の事だと思っている人が非常に多いことに気がつきました。それは、「主の裁き、荒廃、暗闇」→ but →「主の再臨」=「私たちは助かる」

というような短絡的な見方しかできないからです。

再臨信仰とリンクしてしまっているので、聖書に書かれたどのような滅び、荒廃についてのメッセージを読んでも自分とは関係ないと思ってしまっているのです。


もちろん、主は「患難の中で私たちを守られる」(黙示3:10)と語っておられるので、不要に恐れをあおるつもりはありません。心配する必要はありません。私たちは守られるのです。しかし、その言葉は楽観的に生ぬるい考えでいるクリスチャンの為に書かれた言葉ではないことを知らねばなりません。

韓国から来られたダビデ・リー師は祈りの祭典の中でイザヤ書24章から北海道に対する励ましのメッセージについて語っていましたが、それでも24章全体を見るなら、「希望、励まし」に関することはほんの5つの章だけであり、その他は荒廃と苦難についての預言の言葉なのです。

私達は希望の御言葉を語ることを好みますが、それは揺り動かしの中で現されててくる輝く宝石であることをしらねばなりません。


2つの洪水」に続く