■6日目■ とりなし、再建、植える、希望を見出す

現状を知ることはつらいことですが、それは良いことです。

私たちは心をしなえさせてはなりません。現状におびえてはなりません。強くあるべきです。ヘブル人への手紙12章12節に「弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。」とあるように強く雄々しくあるべきです。


また、エレミヤ12章5節にあるように、今の現状につかれきってしまっているならば、これから来る波に乗ることはできません。

神は脱出の道(第1コリント10章13節)を与えてくださる方なのでその方に信頼するべきです。

現状を乗り切るのに必要なことは、私達の考え方が変えられることかもしれません。

自分のやり方、自分の答えを手にして主の前に出るのではなく「ある家族の証」にあるように祝福を得る秘訣は、まず自分自身が変えられることにあるのです。


エレミヤの働きは打ちこわし、倒すことだけではありません。建て上げ植えることでもあるのです。(エレミヤ1章10節

ですから、このよう危機こそ逆に植えていくときでもあります。

私たちは恐れてはなりません。

恐れによって行動が制限されてはなりません。

エレミヤ書29章6〜7節は「増え広がる」ようにと語っています。

この事をもう少し見ていきましょう。


イサクの場合

創世記26章1節&12節〜13節

イサクが種をまいたのは「飢饉のときでした。」

しかし、それにはリスクが伴います。

それでも、彼がそれをしたときに、彼は「富み、ますます栄えて、非常に裕福」になりました。

彼が裕福になったのは単に100倍の収穫だったからではありません。

飢饉のときの収穫は、同じ収穫でも何十倍もの値打ちがあったからです。

なぜなら、周りの人たちは、種をまくことを恐れていたので収穫がなかったからです。


参考記事:世の終わりにおいて子供をもうけることの教え。


4日目の「嘆き、へりくだり」の中でヨエル2章15〜17節からへりくだり、喪に服すように主が語っておられることについて書きましたが、私たちは、ただ、落ち込んで終わるのではありません。

私たちがへりくだり、主への従順を示すときに第2コリント10章6節にあるように敵を罰する準備が出来ているのです。

それゆえそれに続くヨエル書は18節〜29節の中で希望について語っているのです。

使徒の働きの中で有名な「すべての人に霊を注ぐ」という有名な言葉はこれまで語ってきたような流れの中で語られたのです。


洪水を通り真価が試されたならば、今、希望を宣言するときがきているのです。