(07) 2日目 6月2日 血肉に対するものではない


多くの人がこのことを勘違いしています。多くのクリスチャンが、目の前にいる人を相手に戦って疲れきっています。

しかし、私たちの戦いは血肉に対するものではないのです。
(エペソ6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

私たちはまずこの視点を持たねばなりません。この世にあって歩んでいてもこの世に従っていません。サタンのペースに飲まれてしまうなら、勝てる戦いも勝てなくなってしまいます。

(2コリント10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
 10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

では、どうして、そのような勘違いが生じるのでしょうか?
この第2コリントの御言葉は次の言葉につながっています。

第2コリント10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、 10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

ここにさまざまな思弁とあります。
思弁とはさまざまな思い、考えです。
つまり、私たちの霊的な戦いの戦場は、空中に浮かんだところでなされているのではなく、魂の領域、思い、考えの領域で起こっているのです。

というのも、この「霊と魂とからだの構造」という記事にあるようにあなたの魂は霊的世界と実際的世界をつなぐ鍵だからです。


デボーション

(1)霊的戦いが血肉レベルに引きおろされていると感じる分野があれば、そこにキリストを招き、決心と告白によってそれを捨て去りましょう。

(2)肉の思い(魂的なもの、感情的なもの)(ガラテア書 5:19〜21)、自己憐憫、ねたみ、批判、分裂)などに魂が引っ張られていると感じたら、御霊の思い(ガラテア書 5:22〜23)の聖霊の実を宣言しましょう。すなわち「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。