第5日目:行動しつつ待ち望む
以前書いた「人に与えられた自由さについての教え」に見られるように神は人の意思を通じて事を行われます。ですから、私たちは行動することも大切です。
われわれは王としての油注ぎを受けているのですから、「手当たりしだいなんでもする」(1サム10:6-7)のも主の御心だからです。
「手当たりしだいに何でもしなさい。神があなたとともにおられるからです。」
敵に囲まれ、食料も尽きようとしていたときに (第2列王記7章3-11節) らい病人たちは、思い切って敵陣に入って行きました。
どうして、彼らはこのような無謀な行為に出たのでしょうか? それは、どうせ城壁の内側にとどまっていても死を待つだけだったからです。
では、どうして普通の人はそのような決断が出来ないのでしょうか?
それは、死ぬ覚悟が出来ていないからです。らい病人は、どうせ生き延びても先は短く、生きていても人々から嫌われていました。「死を覚悟した人は強い」のです。
これは、まさに十字架を背負った生き方だったのです。
(マタイ16章24節〜26節)だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
(2)いくつかのことを同時進行でする
(伝道者の書11章6節)「。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」
デボーションの内容:
それぞれ神様に聞いてください。