第1日目:天の領域が地に降りてくるワーシップ   

神は終末に向けて新しいワーシップに私たちを招き入れています。


これまで私達はワーシップを通じて天に上り神の領域に触れていました。

ワーシップとは英語で礼拝を意味しますが、ここでわざわざワーシップという表現を用いているのは広い意味の礼拝ではなく、狭い意味の礼拝について語りたいからです。

参考資料)ワーシップという用語の意味

1960年代から本格的に始まった賛美の形式はプレイズ&ワーシップ(賛美礼拝)と呼ばれるものです。 それは、力強い賛美の生贄をささげることによって山に登り、山で礼拝することにも例えることができるでしょう。

そう、賛美によって天の領域に上り、そこで主を礼拝するのです。
マルコの福音書9章には変貌の山についての記述があります。弟子たちは山に登り神の栄光に触れました。

しかし、彼らはそこにとどまり続けることはできません。ペテロはそこに幕屋を建ててとどまることを願いましたがそれはかなわぬことでした。
山から下りることは彼らにとってうんざりすることだったかもしれません。事実、下山後彼らが目にしたのは「不可能」と「論争」であり、主の「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。」という叱責でした。

山に登っても私たちはいつかは山から下りなければなりません。そして現実の生活にうんざりさせられるかもしれません。


しかし、わたしたちはいつまでも主の隣在の中にとどまることができます。それは天の栄光がこの地上に降りてくることによってそれが可能となるのです。
預言者エリヤが語った「主は生きておられる。」(第1列王記17:1)という言葉は、「私は主の隣在の中にいる」という意味なのです。

今日神がなされる業は、私たちを天の領域に連れて行くことだけではありません。
ワーシップを通じて、天がこの地上に降りてくるのです。


私たちが天に上る事と、主の栄光が地に降りてくる事の違いはいったいなんでしょうか?

それを体験したものはその時だけでなく、24時間365日主の隣在の中にとどまることができ、主と共に歩むのです。

最近よく聞くワーシップソングの中に「シャカイナ・グローリー」というのがあります。
残念ながら日本語に訳されたときに本来持っている言葉が省かれています。しかし、その省かれている部分に重要なカギが含まれています。

※ 参考リンク(YouTube)

それは「私たちは主がこの部屋を歩まれるのを待ち望む。」という部分です。
「主よ来てください」とか「主の隣在がこの部屋に満ちる」という表現はこれまでにありましたが、その言葉と、「この部屋を歩まれる」という言葉の違いはいったいなんだったのでしょうか?
それは単に表現の違いだけではありません。
主がその地を歩まれるという事、それは、エデンの園で失った神との関係の回復を意味するからです。


神は習慣的に園の中を歩まれました。(創世記3:8 ).それは一日の中のそよ風の吹く時間における神が人と共に時間を過ごされる特別な時を日常的に持っていたことを意味します。

神の栄光が地に降りてくることは、エデンの園で失われた神との関係の回復を意味します。
また、このことは、創世記だけではありません。黙示録21:1~4)の記述にも表れています。

つまり、天が地に降りるワーシップは、創世記から黙示録に描かれた神の計画全体を意識し、預言的な意味を持っているからです。


どのようにしたらそれをもたらせるか

教えをしているのに何をしたらよいのかを示すことができないというのは片手落ちなので、説明できるように主に求めましたが、上手な解説方法は与えられませんでした。

けれども、確かに言えることは、神がそれを今、願っていることだということ、
そして、それを願うなら手に入れることができる時代という段階に入っているという事です。

今がどのような段階であるかを知るのは重要なことです。

聖書の記述は奇跡で満ちておりますが、歴史上いつでも奇跡であふれていたわけではありません。
出エジプトの時代、預言者の時代、イエス様と使徒達の時代に奇跡が集中して起こっておりました。
それらの時代以外にも奇跡は起こっておりましたが、頻繁にではありません。神が定めた時以外は「奇跡を手に入れる方法セミナー」を受講して、その方法を実践したからと言って、それが起こるわけではないのです。
しかし、今はその時代です。「神が人と共に住むことを願われている時代」です。
ですから、それを認め、それを願い、飢え乾いて祈り求めるならそれが与えられるのです。


■デボーションのポイント 

霊とまことで主を礼拝しましょう。

そのためにその言葉の意味、何が霊で何がまことかを主に尋ね求めましょう。

祈りとワーシップを通じて、ただ主の隣在を感じるだけでなく、主が自分のいる場所を歩まれるよう求めましょう。

その為に、自分に何が必要で、何を取り除くべきかを主にたずね求めましょう。