第3日目:父の心を子に立ち返らせる


2000年以降は父の時代です。父の心が子に立ち返るというのは終末における大きなテーマです。

参考記事:父の時代(聖霊、子、父という時代区分)

驚くことに20世紀には神が父であるという概念は今よりずっと希薄でした。
あるペンテコステの一派は父と子がひとつであることを強調するあまり「父と子が同一である」という教理を持っているほどです。そんな非聖書的な教えがなされていてもキリスト教界にそれほど大きな混乱を生じさせなかったほど神が父であるということが強調されていませんでした。

私たちは悔い改めという視点で福音について語る時に、それは多くの場合、悪人が悔い改めるという視点ですが、ルカの福音書1章17節によるなら、「父たちの心を子供たちに向けさせる」という言葉が含まれています。つまり、それは「逆らう者を義人の心に立ち戻らせ」と同じぐらい大切なものなのです。


この御使いの言葉はマラキ書4章5~6節を引用しているのですが、マラキ書では、「のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」と語っているように、親子関係の回復は人類の未来を左右するほどの大きな出来事なのです。

マラキ書に書かれた父とは何を意味するのか。律法学者たちが「まずエリヤが来るはずだ」(マタイ17:10~13)などにあるように、父なる神との関係の回復という意味ももちろん含んでいますが、この「父」は英語で読むとfathersと複数形であることからわかるように第一義的にはこの「父」とは「父たち」であり、この地上における父親のことを指しているのです。


聖書によれば「子が親に反抗する事は」死罪にあたるほどの罪なのです。(申命記21:18-21
確かに、今日の社会が悪くなっている大きな原因のひとつはしつけを受けずに育った子ども達が社会をつく手いることにあるでしょう。

また、親が一方的に子を従わせるだけではなく、子どもの心を汲み取り心を向ける必要があります。(エペソ6:4)子供に気持ちを向ける、コミュニケーションをする、子供の成長や建て上げを願う事などです。

それによって「のろいでこの地を打ち滅ぼされるかどうか」という出来事を左右するほどの出来事なのです。ですから、父親が父の心を持ち、子供に心を向けることは預言的行動として重要な意味を持っているのです。


また、これは親子の問題だけではありません。カウンセリングやメンタリングといった牧会をされずに、覆いを持たずに遣わされている牧師も大勢いるのです。霊的な親とは何かを知らない人が霊的親になるのですから、それは時には霊的孤児を生み出すこととなってしまうのです。

しかし、クリスチャンはみな遣わされたものであるべきですし、遣わす働きでもあります。私達クリスチャンの働きは程度の差こそあれ「次世代を建て上げるもの」であるべきなのです。

ですから、「父の心」というときに、内向きな教えであるように聞こえるかもしれませんが、それは使徒的なダイナミックな教えなのです。

使徒的教えの参考資料
(YouTube)ビジョンを伴った使徒的家族: http://youtu.be/2JPJssc0JdM

(音声ファイル MP3) 使徒1 (38:53) 五役者の教えの一部分


今日、 クリスチャンホームの子供たちが二極化しています。 もちろん、神に反抗する子供は昔も今もいました。しかし、主に従うクリスチャンホームの子供たちの献身者振りが以前より増加するのに伴い、そのコントラストがよりあらわれてきています。

彼らが主に立ち返るようにとりな祈りましょう。


■デボーション

1) 神が父であることを認め子としての身分を祈りの中で楽しみましょう。

2) 次の世代を建て上げる為に自分が何か出来るかを求めましょう。また、自分自身、霊的覆いの元に身をおきましょう。

3) クリスチャンホームの為に祈りましょう。