第6日目:フィラデルフィアの教会
2月5日(金)
「兄弟愛」
8節の「あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。」という言葉の別訳は「少ししか力がないにもかかわらず、言葉を守り、わたしの名を否まなかった」です。
私たちは、霊的戦いにおいて多くの場合、信仰不足、忍耐不足、力不足を感じるかもしれません。しかし、大切なことはそのような欠けた状況の中にあっても忠実であることなのです。
この教会はユダヤ人と自称するサタンの会衆に属するものたちに抵抗するものでした。つまり、ユダヤ教的な要素を取り入れた悪魔崇拝が当時から存在したと言うことです。
当時は暗闇の出来事であり政治力、経済力を持っていなかったでしょうが、今日においては力をつけており、悪魔崇拝が社会のあらゆる場面で表立ってなされてきているのを私たちは見ています。
10節の全世界に来ようとしている「試練の時」の別訳は「誘惑の時」です。敵の攻撃は明らかな抵抗であったり試練を与えるものとは限りません。主を愛するものにとってはそういったことを耐えることは可能でしょう。問題は、生ぬるい環境の中で与えられる誘惑なのです。
誘惑といっても、金、女、名誉といったあからさまな誘惑とは限りません。これからの時代には「人間関係という偶像」という記事にあるような「生ぬるい縄」によってなされる場合もあるからです。
参考記事(要ログイン):「将来起こる迫害は鞭によってではなく生ぬるい縄によってなされる 」
デボーション
(1) 自分の力の弱いと感じる部分に対して主が力を現されるように求めましょう。(2コリント12:9-10)
(2) 誘惑から自分自身、そして兄弟姉妹が守られるように祈りましょう。
(3) 祈りによって、御言葉によってキリストにしっかりとつながりましょう(ヨハネ15:4-5)。