第7日目:ラオデキアの教会
2月6日( 土)

「人々が支配する」「民主主義」

黙示録3章14節−22節


。ラオデキヤはローマ時代には富裕なことで知られていました。金融業、毛織物、目薬で有名な町でした。黙示録の中で「金」「白い衣」「目薬」にたとえられているのはそれにかけてのことです。


神は生ぬるい信仰を嫌われます。「熱いか冷たいかであれ」という記事にあるように私たちは熱く主に燃えているか、あるいは冷たく冷えてしまい主に取り扱いを受けて再び立ち上がるかのどちらかが必要なのです。


自分の信仰の状態をチェックするには色眼鏡を欠けていてはなりません。ですから見るように目薬を買う(心の目がはっきりと見えるようになる(エペソ1:17-19))必要があるのです。


20節の有名な「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。」という言葉は単に引きこもっている人を引き出そうとしているのではなく19節にあるように「悔い改めへの招き」です。

ですから私たちは知る必要があります。悔い改めの結果もたらされるのは「主の食卓における親しい交わり」なのです。

多くの人が勘違いしています。主が心の扉をたたくのに応答するときに、単にイエス様が私たちの心の中に入ってくださるのではなく、そこから連れ出されて主の食卓での主との親しい交わりにはいるのです。

このことを知っていたらもっと多くの人が悔い改めの実を結ぶことに躊躇しなかったことでしょう。


信仰が生ぬるくなってしまうことのひとつの原因は「人間中心」のミニストリーがなされていくことです。「ラオデキア」の意味は「人間の支配」です。

特にこの教会は経済的な強さを用いて、神により頼む場面が少なかったのでしょう。


「人が支配する」というのは人間的な教会だと言うことです。人間的な価値観、人間的な基準と配慮、そういったものは一見良いように見えても、教会の情熱を奪ってしまうのです。


デボーション

1) 物質的なものにより頼んでいないかどうか吟味しましょう。

2) エペソ1章17節〜19節を黙想しましょう。

3) 熱い信仰を求めましょう。生ぬるいと感じる人は主の招きに応じましょう。