4日目:子どもを神と出会わせる(子どもから信仰を遠ざける要素)

教えの全文


子どもが神と出会うという言葉の意味には大きく分けて二つの意味があります。

1)自分が罪人であると自覚してキリストを救い主として信じること。
2)神の存在を実感し、神を知る。


子どもは親の信仰によって救われる。

先に、子供にとって、親は神様のようなものだと書きました。ですから、出会いを焦らさなくてもまずは親につながっていればよいのです。


劇的な救いは必要ない。

今日の教会の最優先課題が、産めよ増えよではなく、福音を伝えることになってしまっています。
それはそれで良いのですが、その影響で、福音を伝える上で有効な、劇的な救いや、変えられた人生の証が値打ちがあるものとされてしまい、過去に犯した罪が大きければ大きいほど、神の国のために有益なクリスチャンと認識されるようになってしまいました。

クリスチャンホームで気が付いたら神を信じて、大きな罪を犯さず成長したといった証が値打ちが低いものとされてしまっているのです。
そのおかげで、クリスチャンホームの子ども達のアイデンティティーが低くされてしまっているのです。


神の国に正しい価値観を回復させなければなりません。
クリスチャンホームで、両親の愛にはぐくまれて、もちろん葛藤はあるでしょうが、大きな罪を犯さず、教会につながり続けた、子ども達、そして青年達が、どれほど力を持っているのか?霊的な意味でエリートであるのかをキリストの身体である教会に示していく必要があるのです。

クリスチャンホームの子ども達が成長したときに、さまざまな霊的なミニストリーに持ちいられているのを見ています。
とりなしの祈り、預言的な祈り、ひたすら主の身顔を慕い求める祈り、そのような霊的に深いミニストリーを中高生の時から行なうことが出来るのはクリスチャンホームの子ども達だけです。

教会の働きがただ伝道牧会だけであるなら、クリスチャンホームの値打ちはそれほど前面には出てこないことでしょう。
しかし、教会のミニストリーが霊的に深く入っていけば入っていくほどその真価が発揮されていくのです。

そういったクリスチャンホームの値打ちがはっきりと現れていかねばなりません。


大切なのは妨げないこと

そのようなわけで、子供が神と出会う上で必要なことは何をするというよりも親が妨げないようにするという視点なのです。それについては(教えの全文)をご覧ください。


祈り

1) クリスチャンホームの子ども達が正しいアイデンティティーを持つことが出来るように

2) 子ども達に使徒的、預言的、とりなし、祈りの家、いやしに対する目が開かれますように。