K 5日目:(木曜日)(配信は水曜日) 家族中心の価値観が持つリスク
家族中心の価値観を教会が持つことのリスク。
私たちの教会は家族中心の価値観を持つ教会です。
しかし、誤解してほしくないことは家族で集っている人を優遇する教会と言う意味ではありません。
ただ、聖書に書かれた価値観に基づいて動いているのです。
キリスト教会は歴史を通じて、聖書を間違って解釈することによって結婚や家族、子どもたちというものがおろそかにされておりました。
「新約聖書の間違った翻訳によって夫婦や家族という価値観は弱められてきた」という記事にあるように、多くの誤解がありました。
そういった事柄に対して一石を投じているのです。
そして、その成果は現れていると思います。
以前はパフォーマンス主義の教会だったのが現在の形にシフトしたきっかけは18年前の出来事でした。
大勢の人が教会を出ていき、それまで教会が誇っていたものがことごとく崩されるという経験をしました。それでも、自分たちが持っているものだけで教会を再建しなければならないということで、目をとめたのは、3組の夫婦と4人の子供たちでした。
当時、預言や何かで「日本のリバイバルは若者のリバイバルとなる(※)」という言葉を耳にしました。
若者たちがことごとくいなくなった私たちに何ができるのかと思いましたが、ただ、わかっていたことは、若者が一人もいない教会には若者はやってこないという事でした。
それで考えたのは、今いるこの4人の子供たちを健全に育てて信仰を継承しつつ教会を盛り上げていく以外に道はないということを悟り、この18年間は知ってきたように思います。
私たちはもうすでに何かを獲得したわけではありません。ピリピ3章12節〜14節にあるように「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし」キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
その為には、私たちにとって良いものが悪いものにならないように、気を付けなければなりません。
集会出席がおろそかになるリスク
家族中心の価値観はライフプレイスミニストリーとの親和性も高いです。
ローマ人への手紙12章1節にあるように、私たちの日常生活でからだを使って行うことのすべてが神への礼拝行為だからです。
自分の体を休めるためであったり、勉強する為であったり、家族との時間を過ごす為に、礼拝や祈り会に出席しないことはライフプレイスミニストリーに生きる教会の価値観として理にかなっております。
ですから、責めを感じる必要はありません。
しかしながら、何を犠牲にして何を優先させているのかについて考えるべきです。
そうでなければ、最初は良い動機で始めたことであっても私たちを後退させることになるからです。
自分のライフプレイスミニストリー的な行いが神の御心に沿っているのかどうかはどのようにして判断できるのでしょうか。確かにそれは境界線があいまいです。
一つの判別方法は御言葉によってです。ローマ人への手紙12章2節に「この世と調子を合わせてはいけません」と書いているように、この世と調子を合わせていたり、吟味しないで行っている場合にそれに該当する可能性があります。
ベビーシャワーのリスク
ここんところ半年に一度のペースで開催しているパーティーはベビーシャワーです。
それは様々な意味でも(※1)本当に祝福の時です。
※1) 私の計算では新生児が一人生まれれば教会の平均年齢は0.5歳下がります。
しかし、そのような祝福であっても、子どもを産みたくても産めなかった人、結婚したくてもできなかった人にとっては、必ずしも手放しで喜べる時ではないかもしれません。
しかし、そう感じる人がいたとしても責めを感じる必要はありません。※2
※2)
私達は何ついてであっても、自分が持つ感じ方や感情について責めを感じる必要はありません。もちろん、良くない感情、理想的ではないもあるでしょう。しかし、そういったものは自分の努力で隠すものではなく、神様の前にもっていって、@まず理解していただき、A受け入れていただき、Bそういった神様との関係の中で癒されるべきものなのです。
また、神様の元に行くための手助けとして、周りの兄弟姉妹たちは神の家族とし存在しているのです。ですから、そういう人を裁いてはいけませんし、逆に自分がそうだからと言って引け目を感じることも無いのです。
実は、そういった点を教会が乗り越えれるかどうかというのは、本当の意味で教会が成熟した家族中心の価値観を持てるのかどうかの境目となるからです。
つまり「家族中心の価値観を持つ教会」と、いやし、解放、互いに重荷を負いあいキリストの律法を全うするということはセットなのです。
もし、家族中心の価値観を持っていると言いながら、律法主義的であったり、独善的であるなら、それは大きな破壊力を持っています。
結婚式のリスク
教会のメンバーが結婚することももまた、同様なリスクを抱えています。
それについても上記の説明と同様です。自分がいだく感情に対して責めを感じることはないのです。
家族中心の価値観を持つことが祝福な理由
@ 聖書的な事柄を追い求めているのでその他の事柄も機能的に働く。
A メンバーが増える
B 癒しの業が促進される。
ということです。
デボーション
形だけではない、本当の意味での神の家族、教会となっていくために、自分自身の心を吟味しましょう。