第54回連鎖断食と祈り

テーマ:ライフプレイスミニストリー

期間:2022年10月16日(日)〜23日(土) 

連鎖断食登録表

断食のやり方と効能についての教え


6日目:(金曜日)(配信は木曜日) 祝福して益を与える


(6)祝福して益を与える
福音とは祝福の音信の省略語です。音信とはニュースの事なので、英語で言うならまさに「グッドニュース」=「良いお知らせ」という意味です。
私たちクリスチャンにとってその良いお知らせとは間違いなく「@キリストが私たちの罪の身代わりとして死なれたこと。Aそれによって私たちと神様を隔てていた壁が取り去られ、罪の赦しがなされ、神の子供とされたこと。Bキリストがよみがえられ、私たちに永遠の命が与えられたこと。」です。


しかし、それがたとえ最高の「theグッドニュース」であったとしても世の人伝えても伝わらないことでしょう。
特に、キリスト教的には文化背景がない日本においてはなおさらです。

そうであるなら私たちは、最高ではないけれど「a良いお知らせ」を使って、その下地を作ります。
ここで言う良い知らせとは「その方を祝福して益を与える」ということです。


LPMを行うときに、常にこのことを心がけましょう。
たとえば、スーパーキッズクラブは私たちの伝道プログラムですが、純粋に子供たちとその家族の将来のために益となりたいと考えているのです。
つまり、それを通じて私たちが願っていることは「子供が英語ができるようになってほしい」「この格差社会において突破口を持ってほしい」などという願いを込めて行っています。
その過程で、スタッフたちの人格に触れ、私たちの交わりを見て、福音に触れることがあるなら最高だと思います。


その人がしている罪に対して気にしすぎない。
相手に益を与えると言っても、その人が罪を犯していたら、その人を祝福するのは、ためらわれるかもしれません。自分の聖さが汚されるような気持になるからです。

クリスチャンは聖なる民です。ヘブライ語で「聖なる」の意味は「分けられた」という意味です。
そう、この世と分離され、特別な用途のためにとって置かれた民です。
ですから、罪を憎み聖さを保つことは重要です。

しかし、だからと言ってその基準を要求していては、相手の人は心を開くことはできないことでしょう。
罪を見て裁くのではなく、受容していくのです。


デボーションのテーマ

誰かを裁くことによって流していくべき祝福をとどめていたのでしたら、別の視点があるかどうかをもう一度考えてみましょう。

神さまの知恵とバランス感覚を求めましょう。

(ヤコブ1:5) あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。