第54回連鎖断食と祈り

テーマ:ライフプレイスミニストリー

期間:2022年10月16日(日)〜23日(土) 

連鎖断食登録表

断食のやり方と効能についての教え


7日目:(土曜日)(配信は金曜日) 人間として普通の行動をすること


(7)人間として普通の行動をすること
伝統的に教会は人間性と言うものをあまり重要視してこなかったように思います。もちろん、神の視点ではなく人間的な視点で物事を見て、行動することは神様の御心から外れてしまう事につながるので、神を恐れるという意味においては良いことです。

ヒューマニズムという時にそれは「人文主義(じんぶんしゅぎ)あるいは人本主義(じんぽんしゅぎ)」として信仰に基づいたものではないからです。しかし、それが行き過ぎる時に教会は二元論の罠におちいってしまいました。

つまり、私たちは感情を持った人間であることを忘れてしまい、御言葉と言う尺度によって物事を解決しようとします。たとえば、


子供が学校でいじめられて落ち込んで帰ってきたとします。それを見て親が「右の頬を打たれたら、左の頬を出すように」と指導したとします。これは極端な御言葉の適応であることは理解できると思いますが、しかし、このようなケースであればどうでしょうか?

それは「赦しなさい」と指導することです。

もちろん、私たちは、自分に害を与える者を赦す必要があるかもしれません。しかし、このケースでは親がするべきことは、御言葉を前面に掲げる前に、人間として普通の行動をする必要があるということです。
つまり、親として子供を愛し、慰めを与えることです。


もちろん、最終的には、敵を愛し、自分に害を与える者のために祈ることができれば一番良いでしょう。

しかし、感情を無視したり、理性的な判断をしないで、ただ、霊的であろうとするときに無理が生じるのです。


兄弟ラザロが死んで悲しむマリアを見て、イエス様はなんと言われたでしょうか?

「もうすぐ私がよみがえらせるから無くな!」・・・ではありませんでした。

そして悲しむマリアの心を憂い泣かれたのです。

イエス様は、自分が今から何をしようとしているのかを知っておりましたが、その霊的な結論に達する前に過程があることを知っておられました。

イエス様こそ、泣く人と主に泣き、よろこぶものと共によろこばれる方だったったからです。


デボーションのテーマ

自分が人間として弱さを抱えているということを認め、神さまの前に持っていきましょう。

自分の弱い部分に神様に介入していただきましょう。