3日目: 過去のリバイバル経験者がリバイバルを妨げる


ある人がある教会を訪れたときに、その教会の役員によってその教会についての説明を受けました。
教会役員は「この教会を開拓した牧師はXXXでリバイバルを経験した器です。」と得意げに語ったのですが、それを聞いたその方はこうつぶやきました。
「歴史を見て学びなさい。次のリバイバルを妨げるのはいつも前のリバイバルを経験した人だということを。」


これはどういうことでしょうか?
最もわかりやすい例が聖書に書いてあります。
それは「リバイバルを妨げるもの」という記事にあるように、ネヘミヤの時代に起こった御言葉のリバイバルとその結果です。
これは私たちにも言えることです。
過去のリバイバルやよい神様のムーブメントに固執していてはいけません。


リバイバルという言葉を用いているので、自分の教会の為にどのようにこの教えを適応すればよいのかわからない人もいると思いますがそれは次のようなことです。

私たちは現在、ある意味、独自路線によって成果を出しつつあるように思います。

それはいろいろありますが一例をあげると

  1.  本質を大切にする
  2.  自由意思が尊重される
  3.  裁かない、裁かれない
  4.  共感しあって自由に重荷を下ろせる雰囲気
  5.  あなたは〜の立場だから〜でなければならないというのがない
  6.  形だけ正しいことをすればよいわけではない。
  7.  境界線が尊重される
  8.  コミュニティーの中で互いに教え、戒め、解放される
  9.  奉仕のプレッシャーがない

といったものです。

しかしそれは、「SCGが抱える7つのリスク」の中で説明したように、コインの裏返しのようにデメリットもあることを知らなければなりません。。


ということは、そういった特質を持っていることによって何か成果をあげていると感じるなら。それはすなわち衰退の始まりでもあるからです。

なぜなら、たとえば「裁かない、裁かれない」というのは責めを受けずにキリストに近づくためのものであって、自由奔放に生きるためのものではありませんし、「奉仕のプレッシャーがない」というのは、自分の一部をコミュニティーの為に捧げなくてもよいという意味ではないからです。

ということは、ちょっと油断したり、自分たちはうまくいっていると感じたなら、次の瞬間には目に見える形で滑落が始まっているということもありうるのです。


デボーション
自分がSCGの良い特性によって守られていると感じる部分を挙げましょう。
それが、キリストに近づくためのものなのか、それとも、放蕩の為なのかを考えましょう。