とりなし通信(016)「御使い・建て上げ、植える」の続き。


その為に、私たちは、今までの思考パターンが変えられねばなりません。

耕作にたとえるなら、日本は今まで、石を取り除き耕す段階にありました。それは今でも変わりないかもしれません。しかし国は一瞬で生まれることができるのです。

(イザヤ66:8) だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の陣痛で産み出されようか。国は一瞬にして生まれようか。ところがシオンは、陣痛を起こすと同時に子らを産んだのだ。

サウロ王は王に任命された後も畑仕事をしていました。(1サムエル11章)彼の思考パターンは王とされた後もいまだに農夫だったのです。彼を奮い立たせたのは主の御霊が激しく下ったからですが、そのきっかけになったのは国の現状について聞かされたからです。

この文章を読んでおられる皆さんは、熱心に祈られる方々だと思います。この国の、そして世界の現状を憂いでおられる方々です。あなたに与えられている心の重荷があなたを奮い立たせるのです。

国が一瞬で生まれ変わって、田植えや、あるいはもっと進んで刈り取りの段階にいるにも関わらず、いまだに耕したり、石を取り除こうとして石を探し回っている事は悲劇であり喜劇です。

今からそなえていなければ、その変化の早さについていけないでしょう。


これから短い間に、みなさんの中でいくつものシフト(移行、変化)が見られるでしょう。

神はこれらのものを皆さんに与えます。
新しいぶどう酒
新しい心
新しい名

イエスはガリラヤの婚礼で水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。

宴会の世話役は花婿に言いました。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」(ヨハネ2:10)

その出所を誰も知りませんでしたが、水がめに水を満たした召使たちは知っていました。

とりなし手達は水がめに水を満たす召使たちです。この国の為になされた多くの祈りはまるで舞台裏にある水がめに水を満たす作業のように、地味であり、またその作業の実もしばらくの間表舞台に出る事はありません。しかしその水がめが水で満たされるときにその働きの実が表舞台に出てきます。しかも、それはもはや水ではなく、ぶどう酒に変わっているのです。

この国は、神が最後まで取っておられた最良のぶどう酒なのです。歴史の最後の世代の為にとっておかれていたのです。

これらを受け取るために、私達は新しい思い(思考パターン)を持つ必要があります。

また、新しいぶどう酒のためには「新しい皮袋」(ルカ5:38)、新しい心のためには石の心を取り除くこと(エゼキエル36:26)が、新しい名(イザヤ62:2)のためには、主が見られるように自分自身を見ていくことが必要です。

ですから祈りの中で、私たちのあるべき姿を宣言して祈りましょう。


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