日本の教会がずば抜けて進んでいる事柄(16/01/26)

1)イスラエルに対する理解
2)花婿をしたい求める花嫁の祈りの家としての理解
3)教会の本質についての理解
4)誠実なクリスチャン
5)カウンセリング的手法のミニストリー

これらの分野において、日本のキリスト教会は世界でも進んでおります。


1)イスラエルに対する理解

日本のイスラエルに対する理解と働きはずば抜けております。
それはさまざまな事柄を通じて説明できますが、今回は、建国のための祈りとイスラエルを祝福する団体の多さとその成果のについえ話をします。

ホーリネスのリバイバルは成長しましたが、途中で中田重治師が「伝道中心ではなく、キリストの再臨とユダヤ民族の回復のための祈りに専念すべき」というビジョンを掲げたために分裂してしまいました。
それは確かに極端な考えであったかもしれませんが、イスラエルの重要性にいち早く目覚めたという意味においては、世界でも珍しいほどの特別な出来事だったのです。

また、ユダヤ人に対する理解と言う意味においては、日本のクリスチャンだけでなく、日本政府、軍部を初め国全体としてすばらしいものがありました。ユダヤ人を救った国・日本という記事にあるように、杉原千畝のユダヤ人の救済は彼独自のものではなく国全体のものであったことがわかります。


2)花婿をしたい求める花嫁の祈りの家としての理解
現在日本には数多くの祈りの家が建て上げられておりそのうちの8つは24時間365日の祈りの家です。
その数は驚くほど多いといわざるを得ません。というのも、これは単純に日本のクリスチャン人口が少ないからという理由だけではありません。
先日リバイバルの国であるメキシコのメガチャーチの祈りの家の責任者と話をしました。彼にメキシコには247の祈りの家がいくつあるかと尋ねたらひとつもないとのことでした。それを考えると日本に8つもあるというのは驚くべきまずなのです。


3)教会の本質についての理解

「日本のリバイバルは考えるリバイバル」などといって少し自虐的に語られることもありますが、しかし、確かに教会の成長が遅い分、勢いに任せるのではなくていねいに考えられていると感じることがしばしばあります。

無教会主義は、内村鑑三によって提唱された日本に独特のキリスト教信仰のあり方です。
私はこの考え方の全てに賛同できませんが、それでも誤解されている点も多いと思いますし、教会の本質の的を得ているところもあります。
少なくとも、建物を中心としたギリシャ的バシリカ様式(教職者と会衆が分離された劇場形式の教会)の礼拝に対するアンチテーゼとして教会のあるべき本質について語っている面もあると思います。

韓国人のクリスチャンと話をしていると何度か内村鑑三の話が出てきたことがありましたが、多くの場合尊敬をこめて語られているのを感じます。


4)誠実なクリスチャン
これはクリスチャンに限ったことではありませんが、日本人は世界的に見て驚くほど誠実です。おそらくフィリピンやラテンアメリカのクリスチャンの平均の誠実さよりも日本のノンクリスチャンの方が物を盗んだり不正をするといったモラルは高いように感じます。
そのような国民性ですから、日本人のクリスチャンのモラルの高さ、約束を守ることなどの基準は非常に高いです。


5)カウンセリング的手法としての理解

日本人が良く考える国だからか、あるいは精神的な問題を抱えた人が多いからか、カウンセリング的な手法は進んでいるように思います。(時にはその手法を優先するあまりに、神の力をないがしろにする場合もありますが)
私は日本にあるラテンアメリカ人が集う教会の監督もしていますが、多くの場合そのようなミニストリーはありませんし、またやろうとしてもうまく機能しません。