5章:カディス(ヨーロッパ最古の街・交易の中心地)

その後セビージャ経由でカディスに向かいました。セビージャ、ウエルバ、カディスは三角形の位置にあるので直接向かいたかったのですが、先に書いたようにセビージャから河口まで100kmもの間ひとつも橋が無いので一旦セビージャまで戻らねばならないのです。

カディスはフェニキア人が開いたヨーロッパでもっとも古い街です。セビージャは16世紀にスペイン最大の商業都市に発展しましたが、グァダルキビル川の土砂が堆積や船の大型化に伴い船の遡行が困難になったために、セビージャに代わって通商の中心地となったのです。

城壁で囲まれた石畳の旧市街の道はとても狭くどうやって停めるのだろうか不思議なほどに道の両側をびっしりと40〜80cmの間隔で車が縦列駐車がされています。

旧市街の岬の近くにあるホテルに宿泊しました。こういった旅行ではあまり安いホテルに泊まることはできません。情報収集に欠かせないインターネットに部屋から接続できることが必要条件です。

近くにあるカレータ・ビーチは夕日がきれいなことで有名です。到着したのは午後8時を過ぎていましたが、まだ太陽がさんさんと輝いており、海岸近くの通りはビーチリゾート特有の開放的な雰囲気の人たちであふれていました。


翌日カディス博物館に訪れました。ここはローマ時代にも主要な都市であっただけあって展示されていた大理石の像は大きく立派なものでした。この都市はヨーロッパ最古の都市であるだけでなく、古代より交易の重要な場所でした。紀元前10世紀にはフェニキア人によって大いに栄えていたことがわかります。

そういった中で趣向を凝らした「お金の歴史について」の展示が目を引きました。

お金の歴史についてはこちら。(この内容は展示された内容よりさらに突っ込んだ内容です。)

このカディスでそのような展示が重要なテーマとして取り上げられていることに対して深い意味で導きの確認を感じました。

主はこの3日間で私達を500年の時間の旅、歴史の光と影を見せる旅に連れ出しました。

そういった中で植民地についての祈りはセビージャとウエルバでもう完了したように感じていました。日本とのかかわり、特にキリシタンの歴史を探るという意味合いは今回クローズアップされませんでした。イ工ズス会関係にも導かれませんでした。


ただ、今、ここで見せられているものは、何か突然沸いてきた奇妙なものではなくこの一年をかけて語り続けてきたことです。そう、ここに来て、これまでこの祈りのネットワークで取り上げてきたグ口ーバリズムとその血液である通貨、金融の問題がさらにクローズアップされたのです。

そうなることは予感していましたがとりなしのネットワークを導くに当たってバランスをとるために、今回はあまりそういった方面でない祈りでありたいと思っていました。しかしこの7月末にでもカリフォルニア州の経済が破綻するかもしれないといわれている切迫した世の中でやはり避けて通ることはできない問題でもあるのです。

博物館前の広場のパラソルの下で食事を取りながら受けた印象を互いに夫婦で語り合いました。

聖書が言うように「金銭を愛することが、あらゆる悪の根である。」(第1テモテ6:10)というのはそれはもっともなことです。どうしてスペインが大洋に乗り出さねばならなかったのかその根本的な原因を知らなければ、表面的な理解と祈りになってしまいます。


借金が西欧諸国が植民地支配に乗り出さらずにはいられなくなった根本的な原因であり、また今日の戦争、貧困、環境破壊のもっとも大きな原因なのです。

15世紀までイベリア半島はイスラム勢力に支配されスペインはそれを巻き返すのに700年もの時間を要しました。1492年にグラナダ王国が陥落し、レコンキスタ(再征服)が完成し、イベリア半島全部がキリスト教徒の手に奪還されました。この戦いには莫大な戦費を必要としていました。

ですから勝利を喜んでばかりはいられません。多大な借金を抱えていたゆえに次なる国の方策としては借金返済の為に経済を立て直すことが急務でした。

当時のヨーロッパはインドあたりで取れる香辛料を必要としていましたが中近東はイスラム勢力に握られていたので輸入には膨大な費用がかかりました。それで中近東を通らずにインドに至る道を探す必要がありました。

すでにポルトガルはアフリカ大陸の南端の喜望峰にまで達していたので、競合するスペインは西回りでインドに達する方法を開拓しようと思いました。

その後はご存知のようにコロンブスを皮切りに多くの探検家やコルテスやピサロのような征服者の手によって南北アメリカ大陸が植民地化されていきました。


植民地化政策によって一時的に富はもたらされましたが、それは表面的なものに過ぎず長くは続きませんでした。こんどは植民地を取り合う争いの為に多くの戦費を必要とし、経済は疲弊してしまったのです。実際スペイン帝国は絶頂期と思われる16世紀の後半には早くも没落の途をたどり国家として債務不履行宣言を何度も出しています。

ですから、植民地化、奴隷制度、戦争といった問題の根本は「金融」であり、帝国と呼ばれる勝ち組に見えたスペインですらお金の奴隷となっていたのです。

今回、植民地支配の残虐行為に対するとりなしに導かれなかった理由が良くわかります。スペイン人が残虐であったがゆえに残虐行為があったのではなく、サラ金に縛られている人が強盗でも保険金詐欺でも何でもやるように駆り立てられていたのです。

6章に続く