集会のはじめに20分以上賛美しているのにあまり聖霊の流れを感じないことも起こりうることです。なんだか聖霊は流れているのに流れが地面に吸い込まれてしまっているかのように感じる感覚です。
そういった場合、戦いの賛美にたけたものであるなら突破が来るまで、賛美しつづけたいという誘惑が起こるかもしれません。
十分時間のある祈りの集会であるならもちろんそういう対処方法もありえますが、日曜日の礼拝で(聖霊の流れを十分感じないのに)40分以上賛美することは必ずしも正しいこととは思えません。
その言葉を受けてから、たとえ賛美の時間に水が地面に吸い込まれてしまったとしても、がんばってその場で何とかしなければとは思わなくなりました。
その後の献金の時間に、祈りの時間に、メッセージの中で湧き水を掘り出していくことが可能だからです。そしてその湧き出る聖霊の祝福の泉は予想していたものよりすばらしいものなのです。
つまり礼拝における聖霊の祝福の水の流れとは2時間程度の集会のプログラム全体を通じて流していくものなのです。
そういった礼拝スタイルを確立させるために必要なのは神の導き全体を見渡して集会全体を監督する存在です。その為には牧師が「賛美のリーダー」であるコンセプトが必要です。
「真の賛美リーダーは牧師などの監督職である」の教えはこちら。