どうして台湾は親日なのか(11/09/13)

太平洋戦争終戦までの50年間の間、台湾を日本が統治しておりました。植民地と表現しないで「統治」と書いたのは、西洋諸国が他の国々にしたこととまったく異なっているので「植民地」という表現は誤解を生じるからです。

一言で言えば、西洋の植民地化は虐殺と搾取であり、日本のものは限りなく日本と同様に扱っていたからです。すなわち教育、医療の充実においてインフラの整備において日本国内と同様に力を入れておりました。


一時期のオランダ支配を除いては歴史的に台湾は中国が実効支配していましたが、本土から遠く離れたこの僻地に中国はそれほど開発をしていませんでした。下関条約1895年により日本はこの地を統治する権利を手に入れました。

その際に、抗日運動が何度かにわたって起こり、日本は軍隊を出して鎮圧しました。このことを日本が武力でこの土地を摂取したと勘違いする人がいますが、そうではありません。

なぜなら、国際社会的に言えば日本は正式にこの地を譲り受けたわけですから日本はこの土地に対して権利を持っていたのです。

もちろん、すべてを肯定しているわけではありませんが・・・(続き


それまで、まともな政府の統治を経験していなかった台湾の住民にとって日本の規律正しい統治は好印象でした。日本は多大の資金を投入し、ダムや水路を建設し産業を振興させました。おかげで台湾はアジアでは満州と同様に日本に次ぐ栄えた国となったのです。

ですから、日本の敗戦後、蒋介石が率いる国民党軍が侵入した台湾は大きく戸惑いました。

台湾人は血筋の上では中国本土のほうが近いのですが、経済や生き方、信念においては日本型の武士道精神が染み付いてしまっていたからです。

これについてのWikipediaからの引用

しかし台湾人(本省人)と中国国民党(外省人)との間に決定的な決裂をもたらしたのは・二八事件と呼ばれる1947年の事件でした。中国国民党は約 28,000 人もの本省人が殺害・処刑し、彼らの財産や研究成果の多くが接収したたと言われています。

その後、台湾は世界の歴史でも前代未聞の40年間に渡る長い戒厳令がしかれたのです。

 

これによって、台湾人の中に日本統治時代を懐かしむムーブメントが起こりました。

短い台湾に滞在中も数人の老人が懐かしそうに日本語で私に話しかけたりしていました。