牧会と伝道は一人一人の働き (12/09/24)

賜物の整理」という記事の最後に「1コリント12章27〜28節」についての解説の中で「使徒 預言者 教師 奇蹟を行なう者 いやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者」について書きました。

この役割とは ローマ12章6〜8節 1コリント12章6節〜11節 エペソ4章11節 の御言葉に書かれた、あったほうがよい賜物とは異なり教会というひとつの体の各器官としてなくてはならない存在について書いてあります。

※ もっとも、いやしや奇跡を行うものが教会の中で必ず必要とは現在の教会観では考えられないことですが。


そう考えると一つの疑問が浮かぶことでしょう。それは、その中に「使徒 預言者 教師」はあるのに、「牧師、伝道者」が含まれていないことです。

それはなぜか? それを知るのに、牧師の働きとは何かを考えて見ましょう。

今日教会の牧師は(特に小さい教会では)教会の責任者、教会の運営、メッセージ、教え、カウンセリング、伝道、賛美リード、トラクト配り、週報の準備、そうじ、病人訪問、祈りなどあらゆる働きをこなします。

しかし、もし使徒 預言者 教師 奇蹟を行なう者 いやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者と一緒にチームミニストリーをするなら、特に牧師が担う働きというのは限定されてきます。

それは、励まし、戒め、たて上げ、世話、カウンセリング、愛を表し、祈ること、などではないでしょうか。そして、それがわかればどうして牧師が書かれていないかがわかります。

実はそのような働きは、「牧師」と呼ばれる特別な人だけがすることではなく、これらのような数多くの御言葉が語っているように。教会のメンバー一人一人が互いにするべきことなのです。

それがわかれば、どうして「伝道者」がないのかもわかるはずです。

伝道の働きも特別な人だけがすることではなく、教会のメンバー一人一人が担うべきことなのです。


この御言葉から導き出せる教会観とは「牧師、伝道者」はいるけれど「使徒 預言者」がいない現在の教会観と比べると雲泥の差があるのです。