賜物の整理 (12/09/23)

一般的に、新約聖書の中の4つの部分に分けて20の賜物(詳細はこちら)が書かれているといわれていますが、そのような表現はそれは性質、賜物、役割そして役職について書かれたものが比較できるものとして(全て同じレベルで)理解されているからです。

しかし、実際には「賜物」と「役職」を同レベルで扱うことはできません。

それらの違いを理解していないとエペソ4章11節に書かれた五役者が単なる賜物のひとつと混同されてしまいます。

ですから、それらについて整理をしてみたいと思います。


聖書の中に「賜物」について書かれた箇所がいくつかあります。がそれは次の4つです。

ローマ12章6〜8節

1コリント12章6節〜11節

エペソ4章11節

1コリント12章27〜28節


それらについてみていきましょう。

■A 父の賜物 ローマ12章6〜8節

ローマ12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

これは父の賜物と呼ばれるもので、生まれ持っての「特性」について書いてあります。「父」という表現がされているのは、それは後に出てくる聖霊の賜物、子の賜物に対応するものだからです。

これは生まれもっての特質で、誰からも教えられなくても、また、クリスチャンでなくて発揮できる生まれもっての特質です。

クリスチャンで無い人が預言するといえば驚かれるかもしれませんが、ピラトの妻がキリストについての啓示を伝えたようにインスピレーションというのは誰にでも与えられています。(もっとも多くの場合そのような人は占いなどといった悪霊のわざに引っ張られてしまうことが多いのですが、いずれにしてもインスピレーションを受けることのすべては悪霊ではありません。)


■B 聖霊の賜物 1コリント12章6節〜11節

1コリント12:6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。12:7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
12:8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

最近ペンテコステ派でも異言を語れない人が増えているといわれています。それは異言は賜物なのですべての人が語る必要はないと考えているからでしょう。しかしそれは「一般的な聖霊の賜物と特別な賜物」という記事に書かれているように勘違いです。賜物には段階があることを知る必要があります。

また、特定の聖霊の賜物について自分に与えられていないからといって、絶対それを発揮できないというわけではありません。これは 「道具」=みなの益の為に神からのプレゼントであり必要であればだれでも与えられるものです。

ですから、ある時は必要の為に一時的に与えられますが多くの場合生涯にわたって継続的に力を表すことができます。

一般的に聖霊の賜物というときに多くの場合は、生涯にわたって継続した能力ですが、気をつけなければならないのは、これらは賜物(プレゼント)なので、その人が信仰深いから、聖いから与えられるというようなものではありません。ですから、聖霊の賜物を発揮したからといって、その人の人格が伴っているとは限りません。

賜物が与えられた結果高慢になってだめになってしまう人もいるのです。

また、困ったことに、その人が悪くなったからといってすぐに賜物が取り去られるわけではありません。(ローマ11章29節)にあるように、召命は変わることがないからです。

ですから、人を判断するのに、聖霊の力を発揮しているから大丈夫だと思ってはなりません。力によってでく実(御霊の実=人格)によって判断するべきなのです。


■C 子の賜物 エペソ4章11節

エペソ4:11 こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。

これは五役者という特別な「資格」そして「任命」について語っています。これらについて知るのに「五役者と聖霊の賜物の違い」という記事に書かれているように賜物には段階があることを知る必要があります。

これらは役職であり、特別な立場です。


■D 必要を満たすため 1コリント12章27〜28節

1コリント12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
12:28 そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行なう者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。

これらは「体の機能」であり「役割」です。ですから、キリストの体は、それらの機能を必要としており、聖霊が豊かに注がれる中で命ある教会は自然にそれらの役割分担を形成しようとするのです。「教会の規模にかかわらずこのような人たちが必ずいる状態」を想像してみてください。なんとすばらしいことでしょうか。

ただ、ここに書かれた「使徒」や「預言者」は子の賜物とはすこし意味が違います。必要を満たすための もので永続的ではありません。でも、心配しないでください。その働きにおいて忠実さが認められるなら、五役者として昇格するからです。