歴史認識に対する私の基本的な考え方s

私は、歴史の流れを知ることは大切だと考えていますが、過去の出来事を一つ一つ掘り起こすことは本来私が意図していることではありません。
また、歴史を検証し「日本は良かった、日本は良いことをした」あるいは「あの出来事は捏造である。誇張である。」などということを言うのは私が本当にしたいことではありません。

(ある程度のことについては)過去は過去として前進していく必要があるからです。また、現在起こっている出来事に目を向けず、過去にばかり目を向けるのはまったく片手落ちだと思います。必ずしも、現在の出来事に対して祈ったり目を向けなければならないといっているわけではありません。ただ、現在のことを知ろうとしないのであるなら、過去のことについてもほじくり出してほしくはないのです。

そういった中で、私が過去の歴史を検証して伝えることがあるとするなら、それは世界の国々の常識は「自国民の意識や国家帰属意識を高めるためであるなら多少誇張や嘘があっても良い。」と考えている中で、「嘘や誇張があるかもしれなくても、とにかく謝罪すればよい。」と考えている日本政府のやり方、クリスチャンの意識は、その二つのまったく相反する性質がかみ合うことによって、ひどく悪い相乗効果を生み出してしまっているのを見ているからです。

それゆえ、私は、必要と判断する中で、偽りのプロパガンダによって日本が立ち上がるのを妨げるものは取り除けられねばならないと考えていますし、日本に何か良い点があるとするなら、それについて私たちは知る必要があると思います。

物事にはさまざまな見方があり、また、同じ計画に関わっていても、その動機は人によってさまざまです。たとえば大東亜戦争時のユダヤ人救済ひとつとっても、単なる人道的見地による行動もあれば、ユダヤ人に対する愛着による行動、またフグ計画(ユダヤ人に好意を与えて利益を得ようとする計画)によるものなどもありました。ただ、別の動機の人がいたからと言って、その他の人たちの行為が無になるわけでもありません。
ですから、歴史を検証するのに柔軟な視点が必要ですが、けれども「良いことをしたけど悪い動機もあった。プラスマイナスゼロ」という見方で、受け取るべきメッセージを薄めるのではなく「良かった部分は良かった」と受け取ったほうが良いと思います。


 

この記事は 「杉原千畝とは(ユダヤ人の救出は日本の官民一体となった一大事業だった)」という記事を補足する為にかかれたものです。