TR底本とRV底本(19/03/19)
ヘブライ語の聖書の底本の種類はそれほど多くはないのですが、新約聖書は手紙の原本が無いのはもちろん手紙を書き写したものがさらに書き写されて伝言ゲームのように広がったので、同じ聖書(手紙)の部分であってもさまざまな種類のものがあります。
それでも、大別すると2つの流れがあり、それはTR(テキスト・レセプトゥス)とRV(標準改訂訳)です。そのわけ方は「ビザンチン型テキスト」と「アレキサンドリア型テキスト(ネストレ=アランド)」といってもおおむね差し支えがないと思います。
テキスト・レセプトゥス(TR)というのは「受け入れられたテキスト」という意味で、信憑性があるという意味でつけられました。
標準改訂訳(RV)というのは後の時代にもう一度内容を吟味して正しいとされたものです。
さて、その二つは一見、それほど違いはありませんが、細かい部分で違います。
TR版の代表的な聖書は 英語のキングジェームズバージョン(KJV)とスペイン語のレイナバレラ、そして明治訳の日本語文語体聖書です。
RV版はそれ以外の聖書、つまり日本語の聖書のほとんどは新改訳聖書を含めてRV版です。
私の結論を先に言いますとTRのほうが正しいと感じます。
私は聖書学者ではないので自分で調べることはできません。また、TRが正しくRVは悪魔からのものであると主張するミニストリーもあるのですが、歴史的なことは私にはわかりません。
しかし、TR版のほうが正しいと私が確信している理由は、この問題に関して人生をかけて考えを改めて告発している人がいるからです。
その方はフランク・ログズドン博士です。彼の改心の過程はこちらをご覧ください。
彼の生の音声はYouTubeで聞く事ができます。
そしてまた、TRのほうが信仰的に正しく聞こえます。
たとえば、ローマ8章の1節のことばには「、肉にしたがって歩まず御霊にしたがって歩んでいる人たちに対しては、」ということばが付け足されているように、いくつかの部分で信仰的であると思われるからです。
それでは新改訳はよくないのかというと、それほど悪くはありません。正しい信仰を持っている人にとっては大きな問題ではありません。
たとえばマタイ1:25 はキリストはTRでは「初子」とされていますが新改訳では「子」です。私達にとってはどちらでも同じです。
しかし、カトリックのように、マリヤは処女でキリストを生み、その後も処女だったと考える人にとっては、キリストが初子だとしたら、その次にもマリヤは子どもを生んだと想像できるので避けたいところです。
《付録》
以下に、TRとRVで明らかに翻訳が異なっている部分を書き出します。
マタイ1:7-8
マタイ1:25 「初子」新改訳では子
マタイ6:13
マタイ19:17 「善い者」新改訳では良いこと
マルコ1:2-3 「預言者たちの書」新改訳では預言者イザヤの書
マルコ9:44 新改訳では44節が存在せず、脚注に48節と同文が入るとしている
マルコ10:21 わたしにしたがって来なさいの前に「十字架を取り上げて」が無い。
マタイ16:9-20
ルカ2:14 「地上には平和が、 人々の内には、よしとされる思いがあるように」。「みこころにかなう人々」だと全ての人への福音にならない。
ルカ2:33 「ヨセフとその子の母は」。新改訳では「父と母」になっている。
ルカ3:33
ルカ4:4 「神のあらゆる言葉」新改訳では「あらゆる」が欠けている。
ルカ4:44
ルカ9:54 「エリヤがしたように」が(改3、2017)では欄外にある
ルカ9:55 「そして彼は言われた。『あなたがたは自分たちがどのような霊的状態にあるのかを知らないのです。』この文章は(改3)には欄外にあるが(改2017)にはまったく無い。
ルカ9:56 「人の子が来たのは、人のいのちをほろぼす為でなく、それを救うためです。」この文章は(改3)には欄外にあるが(改2017)にはまったく無い。
ルカ22:64 「彼の顔をたたき」が削除されている。
ルカ23:38 「ギリシャ語とラテン語とヘブル語で」が存在しないヨハネ19:21にはある
ルカ23:42 「主よ」という呼びかけが存在しない。
ルカ24:42 「彼らは、焼いた魚の一切れと蜜蜂の巣を彼に渡した」
ヨハネ1:18 「生まれたひとり子である御子」が正しい。(※ 説明を読んだが違いがわからない。)
ヨハネ6:11
ヨハネ6:47 「私を」が欠如。キリストを信じることが救いである。
ヨハネ7:53-8:11 この部分は新改訳聖書には残されている。
使徒8:37 37節が欠けている「「(37節)ピリポは言った。 『もしあなたが全き心から信じているなら、よいのです』 彼は答えて言った。 『私はイエス・キリストが神の御子であられると信じています』」(TR 新約聖書)」
使徒9:6 パウロの応答が欠けている「(6節) 彼はおののきながら、また、驚きながら言った。 『主よ、私がどうすることを願っておられるのですか?』 すると主は彼に向かって言われた。 『立ち上がりなさい。…」(TR 新約聖書)
使徒 10:30
(RV)四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、
(TR)四日前、私はこの時間まで断食しており、午後3時には私の家で祈っていました。
使徒19:16
使徒28:13
使徒20:28 (改3、2017)ともOK。間違った訳は「神の血」を御子の血としている。
ローマ8:1 「肉にしたがって歩まず、御霊にしたがって歩んでいる」が存在しない。
ローマ14:10 「…キリストの裁きの御座…」(TR 新約聖書)
コロサイ1:14 「彼の血を通して」が存在しない
第1テモテ3:16 「神は肉において現され」(TR) 新改訳は「キリストは」
ヘブル1:3 「御子は、ご自身を通して私たちの罪の清めを行われ、…」(TR 新約聖書)「ご自身を通して」が存在しない
ヘブル2:11 「みな、一人の方に属しているからです」(TR 新約聖書)新改訳では脚注に異本として記載あり。
第1ペテロ4:1 「キリストが私たちのために肉に関して苦しみをお受けになったのですから(TR 新約聖書) 「私たちのために」が存在しない
第2ペテロ3:10
第1ヨハネ5:7 天において証をするものが三つあります。父と言と聖霊です。
第1ヨハネ5:8 地上において証をするものが三つあります。御霊と水と血です。