神様を表す言葉としての天の父、神、主、キリストその違いについて (25/05/15)
神様は三つで一つの存在だからか、私たちは日常的にあまりそれを表す用語に気を使っておりません。
それはそれで、それほど大きな問題ではないと思いますが、きちんと整理して理解しておく必要もあります。
聖書の中でキリストを神と読んでいる箇所はほとんどありません。
直接的に出てくるか所は( ヨハネ20:28 )でトマスがイエス様を「私の神、私の主」と読んだ箇所ぐらいです。
キリストを神と呼ぶことがほとんどないのを見て、異端(エホバの証人など)ではキリストは神ではないと主張しますが、それも正確な情報ではありません。
「聖書はキリストが神であることについて直接的な記述はほとんどない」という記事にあるように、それは大きな問題ではないからです。
さて、本題に入りますが
神、キリストという表現に負けないぐらい新約、旧約共に聖書によく出てくる表現が「主」です。
ただ、ご存じのように新約と旧約ではその意味が異なります。
新改訳聖書ではほとんどの「主」は太字で書かれてあります。それは翻訳上の意図があるからです。
太字の主はヘブライ語で見ると「YHWH」です。ユダヤ人は主の名をみだりに唱えることを畏れたので、発音がされないまま時間が過ぎてしまい、本当の読み方がわからなくなってしまいましたが、彼らは「アドン」と読み替えて、私たち異邦人は「エホバ」「ヤハウエ」などと読んでいる言葉です。
これは神様の名前である固有名詞なのです。
※ 一般にアドナイと呼ばれますが、それは「我が主」という意味です。ヘブライ語では名詞の後ろに「イ」がつくと「私の」という所有格を表す言葉です。
それに対して、新約聖書に登場する「主」は細い字体です。そのほとんどはギリシャ語の「キュリオス」で主を表します。
この、主を表す言葉は、ヘブライ語にもあり、それがアドンです。
詩篇の では「主は主におおせられた」という表現がありますが、これは「ヤハウエは私の主におおせられた」という意味なのです。
つまり、先に、旧約聖書の主は新約の主とは異なると書きましたが、ユダヤ人が読み替えた「アドン」が一般的な主を表す言葉なので、まわりまわって、新約の主と旧約の太字の主はそれほど大きな違いがないのです。
新約聖書ではキリストを主と呼んでおります。
父なる神であるヤハウエも主、キリストも主ということで、今日の私たちにとって「主」という言葉は父なる神とキリストの両方を表す便利な言葉なのです。
そのようなわけで言葉を整理すると
聖書の中で出てくる意味は
神=父なる神
主=父なる神あるいはキリスト、またはその両方
キリスト=子なる神
となるのです。