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マリアに祈るカトリックの異端的な考えの原因の一つは三位一体の教えによる (25/05/18) このタイトルは、説明を受けなければ少しショッキングな話かもしれません。 私が言いたいことの一つの例はカトリックが持つ、マリアが神の母としてキリストと私たちの仲介者であるという教えについてです。 三位一体は「三位一体は異端から教会を守るために定められた教理」という記事にあるように、良い動機で造られました。 そして、それは機能し、教会を異端から守られました。 その異端というのは、キリストの神聖を認めないというようなものです。三位一体の教理のおかげで、父なる神とは別の存在でありながら一つの神としての存在が認められるようになりました。 つまり、異端が無ければ三位一体という言葉も生まれなかったのです。 そういった中で一つの問題が生じました。 キリストは神と人との間の仲介者なのですが、その地位が高くなるにつれて、身近な仲介者でなくなってしまったのです。 それゆえ、人々は別の仲介者を求めるようになりました。 聖書の登場する人物であり、神に近い存在、そしてイエス様に意見を言ってその判断を変えてもらえるほどの影響力を持った方を必要としました。 それにピッタリなのがマリアだという事です。 まあ、もちろん、マリア礼拝の起こりは、もっと複雑で様々な要素があり、説明したことはほんの一部に過ぎません。また、ある意味後付けの説明かもしれません。 しかし、私たちが聖書が語っていること以上に真理を求めて、おせっかいにも本来キリストが占めるべき一以上にしようと努めるときに、その行き過ぎによって、何らかの別の極端に入ってしまうのです。