2009年1月4日(日)〜1月10日(土) 

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日ごとの祈りのテーマ(3) 1月6日(火)

第三日目:平和の福音の備え

(エペソ6:15) 足には平和の福音の備えをはきなさい。

とりなしという言葉の意味の中には「間に入る」「つなぐ」という意味があります。

私達が祈るときに神と祈りの対象との間に入り両者をつなぐのです。未信者が救われるように祈るということは神を知らない人と神との間に入り両者をつなげます。

そして、未信者に神を紹介する働きを「伝道」と呼びます。したがって伝道ととりなしは本質的には同じことです。両者を分けて考えるのはやめましょう。むしろ、とりなし手としての視点で伝道について考え、伝道という方法を通じて行うとりなしの行動とは何かを考えましょう。

たとえば薄野宣教ネットワークの働きは表向きは伝道です。けれどもその本質は使徒的なとりなしの働きなのです。同様に若者に性のトピックを通じて福音を伝えるインフォユース・プロジェクトもとりなし的な視点からの伝道です。

一般にあるとりなしのイメージは「祈るだけ」というものです。しかしこれからは「とりなし」の要素を持った伝道がとりなし手によって推進されるべきです。

伝道活動が預言的行動や祈りの歩行、霊的戦いであるのなら、たとえ目に見える魂の救いという成果が表れなくても落胆することはありません。多くの教会は通りに出て行って伝道しようとはしません。それは成果がすぐに見れないからです。けれども私達の働きを成果で判断してはなりません。

これは先日薄野宣教ネットワークとして東京(歌舞伎町、吉原)に行ったレポートにもすこし触れましたが、とりなしの視点で伝道するとは、単に教会の成長の為の伝道や弟子訓練をするのではなく「御国全体」の成長をビジョンとするということです。

以下の御言葉にあるように「御国全体」の成長をビジョンに持ち「とりなし」と「福音を伝える」というそれまで隔たりがあった両者がひとつとなるときにサタンの力を踏み砕くことができるのです。

ローマ16:20)平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。

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アクテイベーション

1)身近なところでとりなし手の視点でどのような伝道方法ができるのか考えてみる。

2)伝道の為に自分自身をささげる祈りをする。

3)未信者が救われるように祈る。