■5日目■ 偽りの平安、天の女王、リバイバル至上主義

目を開いてみるなら、社会が壊れていく兆しは十分見えているのですが、いまだに「父の時代」に入っていることを理解せず「子の時代」(西暦1950年〜2000年)までの世界観に浸っているなら、今起こっていることが理解できないのです。


今の時代、ただ、神を信じて礼拝しているなら勝利が与えられる、霊的なことだけを見ていれば良いというのであるならば、それはエレミヤ書6章14節のように「民の傷を手軽に癒している」という状態なのです。


また、お尻に火がついたような状態であるにもかかわらず、昔こうしていればうまく行ったのだから、今度もうまくいくはずだ。などとはいえません。

まして、昔のやり方が、神の方法にのっとったものではなく、「間違った土台」に基づいた方法であるならなおさらです。


あるミニストリーが倒れたり、働き人が倒れてしまうと言う話は良く聞くことです。

しかし、それはある日突然起こるのではなく、ビル・ハモン師の「ジェイソン草のたとえ」にあるように、そのような悪い根は最初から潜んでいたりするのです。


ある人は一つ目の洪水の危機の中で神に立ち返るのではなく、なおさら、古い方法や偶像礼拝、その他間違った方法で自分を救おうとします。

エレミヤ44章17節〜19節の「天の女王にいけにえをささげ、それに注ぎのぶどう酒を注ぎたい。」というような行為はもちろん明らかに罪な方法ですが、たとえ正しい方法を用いたとしても、「この時代」の常識や世界観で対処しようとするなら、うまく機能することはできないのです。


それゆえ、ただ、状態が良くなればよいという小手先だけの対処ではなく、根本的な対応が必要です。

ですから、へりくだり主の御心を求めていきましょう。

また、他の人に対して「裁きの目」を向けるのではなく、自分自身を振り返りましょう。 つまり「立っていると思っている人」は倒れないように自分自身を見張るのです。