第7日目:信仰、希望、愛 神の支配  11/05/21

これまでたくさんのことを書いてきましたが、本当に必要なものはそう多くありません。

神の命令は変わることがありません。

1) 神の御国を拡大させることと(マタイ28章18節=20節

2) 神を愛し隣人を愛することです。(マタイ22:36〜40


聖書には、最後まで残るものは「信仰と希望と愛」(1コリント13:13)であると記されています。文脈から言ってこれらが指し示しているものは、(いわゆる)天国でのことでしょうが、この地上で生きている間も、天国に最も近いこの終末の時代においてこれらのものは重要です。

特に愛は重要です。第1ペテロ4章7〜10節に愛についての記述がありますが、「万物の終わりが近づきました。」とあるように、それは終末というキーワードに基づいて語られているのです。

第5日目:三つのアイデンティティ (上)の家族の関係の中でもすこし触れましたが、緊急な時代の中でこれまで突破できなかった癒しの領域に入ることができるように、今まで入ることができなかった愛の領域に入っていくことができるのです。


自分が神の支配にあり、神に属することをどのようにして知ることができるでしょうか?

それは「言葉や口先だけでなく行ないと真実をもって愛する」(第1ヨハネ3章16節〜24節)事によってなのです。

そうすることによって第1ヨハネ3章19節にあるように自分が「真理に属するもの」であることを知り、「神のみ前に心安らかに」されるのです。

そしてその愛のあらわし方は「第1ヨハネ3章17節〜18節」や「マタイ6章19節〜34節」にあるように、与えることによって証明されるのです。

マタイ6章22節〜23節に書かれた「 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」というのはどういう意味でしょうか。

この言葉を理解するにはヘブライ語的な理解が必要です。

「目が悪い」とはヘブライ語の慣用句で「けち」と言う意味で、「目が健全」とは「寛大で物惜しみがない」という意味なのです。つまり、私たちの心の状態は「与える」という行為によって表され、もし「与えていない」なら私たちの全身は「暗い」のです。

全身が暗いのにどのようにして世の終わりにサバイバルしていくことができるでしょうか?私たちは「光の子供」でなければなりません。

「光の子供」であるなら暗闇の中にいないのですから第1テサロニケ5章2節〜8節にあるように「その日が、盗人のようにあなたがたを襲う」ことはないのです。


マタイ7章24節〜27節にあるように、どのような土台の上に立てられているのかにかかわらず私たちはみな洪水にあいます。同じような患難を通っても同じように崩れるわけではありません。その日にこそ真価が試されるのです。

それはまたヘブル12章25節〜29節にあるように、「決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされる。」ということです。


それゆえ来るべき将来において「揺り動かしが少なくて済む方法」は、今、自分自身を吟味し、自分で揺り動かされるものを取り除くことです。

なぜなら、患難が起こることを主が容認される理由は、私たちを作り変え、余計なものを取り除く為だからです。 もし、自分でそれができるなら、私たちに及ぶ試練も最小限となるでしょう。

自分で自分をわきまえるなら、だれにもわきまえられることはないのです。(第1コリント2章14節〜16節

私達が断食をしているのもそれが理由です。

断食をすることは「自分で不快な状態に入ると言うこと」です。でもそれは良いことです。なぜなら「私たちが苦しみを追いかけないのであるなら、苦しみが私たちを追いかけてくる。」からです。

それゆえ、今、苦難を体験している人は幸いです。第1ペテロ4章1節〜2節にあるように 、「肉体において苦しみを受けた人は、地上の残されたときを神の御心の為に生きるようになる」と書いているからです。


デボーション

1) 第1ペテロ4章7〜10節を読んで思い巡らしましょう。

2)他の人に与える事、教会の献金(十一献金)を実践しましょう。

3)愛の種を植える行動を実践しましょう。