第5日目:サルデスの教会
2月4日(木)
「逃れ出るもの」
伝統的にはこの教会は「暗黒時代の教会から分離するものの型」と言われています。
しかし、忘れてはならないのは、どのような時代にも「レムナント」と呼ばれる真剣に主を求める正しい信仰の教会は存続していたことです。それはカトリックの暗黒時代もそうですし、今日においても同様です。
とはいえ、今の時代の教会を「レムナントの教会」とそうでない教会とに分けることは難しいでしょう。
というのも「良い麦と悪い麦が同時に生長している」(マタイ13:24 -30)のが今の時代だからです。悪い部分があったからといって神が悪い麦を引き抜くとは限らないからです。
名の知られている有名な説教者が異端的教理を持っていたとしても、神様がすぐに介入されるわけではないし、引き続き聖霊の力も働くのです。
教会もまた教理的な間違いを持っているからといって白か黒か分けることは難しいでしょう。
たとえば、聖霊の賜物が今日も働いていることを認めない教会は正しくはありませんが、それをもって悪い教会とは言えません。むしろ預言を権威主義的に用いてメンバーをコントロールしている教会よりはよほど健全であると言えるでしょう。
そしてさらに、教理的な間違いや罪とまでいかなくても、微妙にコントロールが入ったり、見栄えを求めるといったことが入ってくる可能性もあるのです。
ですから、私たちに求められているのは、賢く見分けて、伝統的な良いものを守りつつも、神が今日行っているより良いものについていく姿勢なのです。
今日、もはや教団教派の名称だけでどのような信仰を持っているのかを見分けることは出来ません。聖霊に満たされ異言を語るバプティストがあるかと思えば異言で語ることは必ずしも必要ではないと教えるペンテコステもあります。
100年前まではひとつのムーブメントが起こるとひとつの教派が生まれました。しかし、特にこの数十年の流れの特徴は、今の教派にとどまったまま、新しい流れを受け入れるようになっています。
もちろん、教会を出た人(追い出された人)が別個に教会を作ることは普通に起こっていますが、それでも、教団を作ることはあっても新しい教派名を生み出すほどにはならないことがほとんどです。
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その他、彼らよりもさらに有名な説教者もこの流れに飲まれているのが確認されています。
エキュメニズムとは
そのような時代において、一人ひとりが聖書の言葉にとどまり、吟味していく必要があるのです。
そのような敵の策略に対してどう立ち向かうかがひとつの試験石となることでしょう。
クリスチャンの牧師やリーダーであっても、互いに教えあったり戒めあうことができず妥協してしまうことのひとつの原因は「人間関係という偶像」という記事にあるように仲間意識です。
互いに愛し合う、一致、へりくだり、共同などといった名の下に妥協したり盲目になったりすることも起こってしまうのです。
デボーション
1) 自分の内にある毒麦がないかどうか主に調べて(詩篇139:23-24)いただきましょう。
2) 人とのつながりを気遣って真実や御言葉の真理を曲げてしまっていることがないかどうか吟味しましょう。
3) 見分けるための知恵と啓示の御霊(エペソ1:17-19)を求めましょう。