6日目:コミュニティーと伝道
伝道というと何を思い浮かべますか?
多くの人は「日常生活」にプラスアルファーした「クリスチャン生活」に付随する「一つの活動」と理解しているかもしれません。
つまり、ある人たちにとっては日常生活の中にキリスト教を付け足すだけで、精いっぱいなのに、その上につく別な活動を付け足すことに負担を感じてしまいます。
しかし、本来伝道というものはそのようなものではありませんし、ましてや日本のように文化の中に聖書的な土壌がなく、宣教が困難な国においては、そのような方法ではなかなかうまくいかないことでしょう。
ローマ帝国においてキリスト教はどのように広まったのでしょうか?
信者の熱心な布教活動によってではありません。信者たちの社会への奉仕によって福音が広まったのです。
奉仕と言っても彼らの場合は、気軽なボランティアではありません。ある意味命がけの奉仕です。
しかし、天国が保証されており、死を恐れないクリスチャンはそれをしたのです。
それについて「キリスト教はなぜ大きくなったか」という記事に詳しく書いてありますが、 彼らがしたのは、疫病によって見捨てられた人の看病と、死者を丁寧にあつかったことです。
彼らは単に社会にインパクトを与えただけではありません。彼らの奉仕によって、疫病による死者数が激減したのです。
というのも疫病にかかったら、それで、もう死ぬわけではありません。看病する人が逃げてしまったために、本来は助かるはずの命も助からないケースも数多くあったのです。
また、人々が感染を恐れて死者を放置している傍らでクリスチャンは彼らを土の中に葬りました。このことが結果的に死体から病原菌が拡散することを減少させたのです。
なぜ、クリスチャンは未信者の人たちをそのように扱ったのでしょうか?
それは、彼らにとってコミュニティーとは、教会の中だけではなかったからです。
もちろん、尊ぶべき優先順位は、第一に家族であり信仰の神にある家族ですが、彼らの信仰は教会の壁の外と内側というように分かれてはいなかったのです。
(エペソ1章25節)
彼らは、教会が「すべての分野を満たすことができる方であるキリストが満ちている場所」であり、その「キリストの満ち満ちたさまを社会に届けることが自分の役目である」と知っていたからです。
これは「マーケットプレイス・ミニストリー」の教えでもあります。
マーケットプレイス・ミニストリーとは何かを一言で言うと
@ 教会の枠を離れて
A 私たちを通じて世の人にキリストを味わっていただき
B 神の国価値観でこの地を満たしていく
働きなのです。
世の人のために、何かを命がけでしなさいと言っているわけではありません。
しかし、私たちは信仰のはかりに応じて、そのとの世界に心を向けていく必要があるのです。
デボーション
自分の心を見張り吟味しましょう。
教会内の必要のある人のために祈りましょう