祈りの祭典の翌々日・2008年7月7日からIFGA(地球規模事象機構)主催のG工イト・サ三ットの為の祈り会が始まりました。一言でいうなら信じられないほどの聖霊の注ぎでした。

結果的には、日本でも最高レベルの神の情熱と聖霊の注ぎを体験できる集会といえるでしょう。多分、海外の有名なリバイバル集会に参加したとしてもこのような聖霊の働きを体験できるとは限らないと思います。少なくとも自分の土地で行われたという意味においては比べようの無い充実感を感じました。

それもそのはずです。IFGAチーム25人の内子供を除いて全て使徒、預言者、あるいは両方だからです。使徒的油注ぎの特徴の一つは訪れる場所の霊的状態に変化を与えることです。


集会の形式は非常に預言的なもので、彼ら自身も次の集会で何をするかはわからないようです。午前中、2時間、午後2時間、夜に2時間の集会は祈りの祭典や期間中の夜間の祈り会に出ていたもの達にとっては、比較的ゆったりとしたスケジュールに感じられますが、それによってIFGAのリーダーたちは神のみ声をじっくり聞いたり、主が示しておられることを互いに協議することができるのです。

また、私たちにとっては、海外の油注がれた器たちと交われる機会であり、国内から集められた、祈りの戦友たちとゆっくり交わる事ができました。それはまるで戦場とリゾートを同時に体験しているかのような印象でした。


最初の集会では賛美の中で、かなり長い時間、みんなが叫び続けていました。それは戦いの始まりを告げる怒涛のようでした。私は角笛を吹くくちびるが痛くなって後半はふけませんでした。チームの一人が京都で日本刀の模造品を購入しておりそれを使って預言的行動として、天を突き刺していました。そうするとそこに日本人の参加者たちも群がってきました。

私は祈り会でこれほど熱狂的になっている日本人を見たのは初めてでした。

これは祈りの祭典の最後の集会で分かち合われた、立ち上がる侍のビジョンの預言的成就でありました。そう、祈りの祭典とこのG工イト・サ三ットの為の祈り会は一つなのです。


2日目からは集会場の中心に8つの椅子が置かれたG工イト・サ三ットのテーブルを模したテーブルが置かれました。集会の後半、怒涛の賛美の中、北海道の8人の牧師を集めてそのテーブルで聖餐式を持ちました。それはこの地の見張り人として立てられているリーダー達がこの土地におけるキリストの主権を宣言し、この地の聖めを宣言する必要があると感じたからです。

そして、そのテーブルの周りを海外からのとりなし手達が取り囲み祈りをサポートしました。

祈りの突破を感じて8人全員が立ち上がった頃、割れんばかりの拍手と共に本当に戦いに勝利したことを実感しました。


すべてのとりなしのプログラムの終了後に持たれた昼食会の席で私が分かち合った言葉にあるように、今回、もっとも大きな意義は、彼らが来たことにより、この地に使徒的、預言的土台が築かれたことです。私たちはその油注ぎに触れたのです。

ですから、私たちもまた、新しい皮袋になっていかねばなりません。霊的状態がシフトしたわけですから、私たちは、使徒的権威と油注ぎによって戦っていかねばなりません。それこそ、主が私たちに与えてくださった新しい戦略なのです。

また、今まで意識した事がなかったようなグ口ーバル・ゲート(世界的門)に対する祈りを私たちは学びました。主はこの北海道をただ日本のためだけではなく世界に対する祈りの器として整えておられるように感じます。

とりなし通信トップに戻る