アイヌを先住民族として特別に扱うことの問題点 (16/01/27)

1)アイヌ民族は存在しない
2)定義があいまい
3)利権に利用されている
4)アメリカの先住民族とケースが違う
5)アイヌを消滅させたのは大和民族ではなく近代化である。
6)アイヌを虐げたのは商人である。
7)日本政府の対応はおおむね悪くなかった
8)世界統一支配に用いられる



1)アイヌ民族は存在しない
札幌市議会議員がこのような発言をしたとして話題になりましたが、それには次のような根拠によります。

ニュース「アイヌはもういない」札幌市議の問題発言!実はかなり根深い問題 (ミラーサイト)

a) 純粋なアイヌ語を日常会話に使う人がほぼ誰もいない。
b) 純粋なアイヌの血を引く人がほとんど誰も確認されていない。
c) 古来のアイヌの生活様式をする人がただの一人もいない。
これらの事実を持ってアイヌ民族は存在しないという発言が正しいかどうかはともかく、近代化の歴史に逆らって、自己申告制でアイヌ人であるとする人に利権が与えられる現状によって逆に差別が生み出されることもあると思います。

今日の差別は利権によって生み出される」という記事にあるように、アイヌ民族の権利を主張すればするほど差別が生じることを知る必要があるのです。


2)定義があいまい
アイヌ人かどうかの定義は自己申告です。というかそれ以上は調べることができないのです。

北海道庁が行った「平成25年度アイヌ生活実態調査」には次の様に書かれています。

「アイヌ」とは、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる方、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」 

北海道の調査結果報告によると、道在住のアイヌ民族は「66市町村に6,880世帯16,786人」で、「道内に居住するアイヌの人たちの全数とはなっていない」と強調されており、その書きぶりから「もっと大勢居るはず」とのニュアンスが読み取れます。

この調査が根拠となり、世間では「北海道のアイヌ民族は17000人以上」と認識され語られています。しかし、人数水増しが疑われる杜撰な調査実態を知れば、17000人の数字の信憑性は甚だ疑問で「本当はもっと少ないのでは?」と疑うのが自然のようです。

この定義においておかしいことは民族の定義を言語や習慣によてではなく血族で定めていることです。

わずかでもアイヌの血を引く人は数万人いるでしょうが、ハーフのアイヌですらほとんど存在していないのです。だからといってそれは血族であって民族の定義とはならないのです。

ですから、「アイヌはいない」発言を批判する人はそのあたりを説明する必要があるのです。


3) 利権に利用されている

近代のアイヌの歴史は日本人として同化していくことの歴史でした。その過程でアイヌの文化は失われてきました。今日それらを復活させようとする動きもありますが、その動機の中には、一部の人たち(アイヌ外の人も含めて)の利権のためであるケースが多々見られます。

アイヌ協会への給付は一部の人の利権である


4)アメリカの先住民族とケースが違う

大和民族とアイヌの交流の歴史は12世紀ごろからありました。西洋人と突然出会い土地を奪われたインデアンの歴史とは異なります。大和民族とアイヌは自由貿易によって交流がありました。北海道はアイヌの聖域であったにもかかわらず大和民族が突然進入したわけではありません。

一番大きな違いは、インディアンは人とはみなされませんでしたが、アイヌは人として認識されていたということです。

当時アメリカでクリスチャンによって書かれた有名な物語の中で「ここには人は誰も住んでいない・・インディアンだけが住んでいる」という記述があるぐらいです。

ですから、アメリカやオーストラリアが彼らを先住民と認めて保障と権利を与えたことをそのまま日本に持ち込むことには少し無理があります。


5)アイヌを消滅させたのは大和民族ではなく近代化である。

17世紀から近代化の波が世界中に押し寄せました。

近代化は次の事柄が全ての場所に求められました。

a)国境線の画定
b)全ての人が国家の国民となること

近代化は日本が望んだことではなく、ペリー提督の来日にあるように無理やりさせられたことですが、それが時代の流れであったことも事実です。 その過程で、文化の均質化が好むと好まざると世界中でなされました。

近代化の過程において全ての土地はどこかの国に属さねばなりません。北海道を聖域としてロシアも日本も手を出さないというありえない歴史観を語ることはできません。(アイヌが政府を設立すれば話は別ですがばらばらな彼らにそんな力も結束力もありません。)いずれどこかの国に占領されたことでしょう。

近代化はあらゆる人に、あらゆる変化をもたらし、特権を奪いました。一番大きな没落をもたらしたのは武士階級でした。支配層という特権を捨てさせられました。北海道の開拓民の中に元士族が少なくないのは、北海道の開拓以外に生きる道がなかったことにもあるのです。

しかし、だからといって、ちょんまげや帯刀の文化が奪われたといって訴える侍の子孫はおりません。

アイヌの同化政策は日本が国民国家となっていくために避けては通れない政策だったのです。

ネットの中にこのような書き込みがありました。
私は今現在もアイヌ人は差別されていると思いますね。だって、日本のどこにもアイヌ語で暮らせる社会はありません。(日本民族と対等に扱ってきたというのなら、せめて北海道ぐらいは、アイヌ語を公用語の一つとしていてもいいくらいだと思います。)

この書き込みでおかしいことは、差別をしないためにアイヌを日本人として受け入れようと努力した先人の歴史をないものにしています。

また、どの言葉を使うかどうかは本人が決めることです。
台湾の公用語は中国語です。学校で台湾語が使われていないからといって文句を言う本省人(台湾人口の80%を占める昔から住んでいた台湾人)はいません。その言葉を維持したければそれを使い続け継承すれば良いことだけだからです。世界中でバイリンガル、トライリンガルの人は大勢います。


6)アイヌを虐げたのは商人である。

和人がアイヌを侵略し搾取したといわれています。しかし、それが政府の政策であったわけではありません。

世の中に悪い人はいるもので、アイヌをだまし土地を奪い奴隷のように扱った人はいました。

もちろん、政府は商人と結託していたということはあったでしょうが、日本政府が政策として彼らから騙し取ったかどうかというのは別の問題です。

企業の罪なのに国家が責められる」という記事にあるように、商人や企業が侵した罪が政府になすり付けられることはよくあることです。

それらに手を貸すことにはなったことはあったでしょうが、商人の罪を日本政府の罪として、それを私たちが同化して責めを負うことが必ずしも正しいわけではないでしょう。


7)日本政府の対応はおおむね悪くなかった
ここでは詳しく書きませんが、日本政府は近代化に当たって一般に考えられている以上にアイヌに対してよい扱いをしてきたともいます。

日本政府が台湾や朝鮮の近代化にどれだけの投資をしてきたかを知るなら、アイヌに対してもそれほど悪いものではなかったものであることがわかります。

参考資料:日本からの弁明(外部リンク)


8)世界統一支配に用いられる

究極的に言うなら、この視点も必要だと思います。 道州制が採用されるとしたら、ますますその傾向に拍車がかかることでしょう。

ある意味、今日なされている民族を強調する世界的な流れは国を分断し世界政府が治めるのに都合がよいものとなるでしょう。