3章:セビージャ(16世紀の植民地政策の中心都市)

二泊三日のリトリートに参加後にシウダ・レアルから、さらに南にあるセビージャまでAVE(超高速鉄道)で行きました。ちょうどセビージャに向かうミゲル(先のミゲルとは別の方)などの4人の同行者がいたので彼らと一緒に行くことができました。

(※)セビージャは日本語でセビリアと言われていますが、現地の発音に合わせてセビージャと表記いたします。

セビージャに実家があるミゲルは道中いろんな情報を提供してくださいました。私達がウエルバに行くつもりであることを知り、彼は聖書に出てくるタルシシュはそのあたりであったこと、そこは何も無い場所で、ヨナはニネベにいきたくないが故に何も無いところに逃げようとしたという話をしていました。

セビージャを訪れるのは私にとって2度目です。最初の訪問は8年前にCFNJの宣教チームの通訳者として同行したスペインアウトリーチでした。それゆえこの地に再び訪れるのは何ともいえない感動があります。


ここは植民地支配の中心地として16世紀に大いに栄えた街で、ここにあるカテドラルはローマのサン・ピエトロ寺院についでヨーロッパで2番目に大きな教会堂です。街の中を流れるグワダルビルキル川の川べり(現在は運河)は「インデイアスへの扉、インデイアスへの港」と呼ばれていました。

河口から100kmほど離れていますが、この場所まで大型の帆船が上ってきていたのです。川幅は豊平川の両サイドの堤防よりすこし狭いぐらいの広さで「超大きな川」と言うわけではありませんが流れは緩やかで川底はかなり深いことがわかります。

セビージャ市の中心部南方には工業地帯があり、現在でもこの川を通って大きなコンテナ船が遡行してきます。そのために日本では考えられないことですが、この川は河口から工業地帯までの長い距離の間に橋がひとつも作られておらず、唯一あるのは高速道路用の巨大なつり橋だけです。

翌日、博物館を訪れて16世紀に使われていた船着場の位置を確認するなどの情報を仕入れました。昼間はかなり暑いので、遅い午後に一旦ホテルに戻り休んだ後に再びグワダルビルキル川に向かいました。


時間は午後7時ごろですが太陽がさんさんと輝いています。サマータイムで一時間ずれていることと、中央ヨーロッパの時差にあわせているので西方にあるスペインは実際の時刻より太陽の位置がずれており日没が遅いのです。

コロンブス通りと呼ばれる大通りと川の間に平行して細長い公園があります。祈る場所を求めてそこを上流に向かって歩きました。しばらく歩くと一つの大きなモニュメントがあることに気がつきました。

それは「トレランシア(寛容)」のモニュメントと呼ばれるもので、ある市民団体がセビージャの血に塗られた歴史をかえり見て植民地支配への反省と不寛容がもたらしたイスラム教、キリスト教、ユダヤ教の争いの歴史を反省のために設置した記念碑でした。

今回のとりなしの中心的な目的は血の歴史に対する同一化の悔い改めといったものではないのですが、血塗られた歴史を持つこの場所から歴史の流れが変わることを願ってモニュメントを先人が建立した場所に私達がたどり着いたことは偶然ではなかったように感じます。

その脇に木陰となる木があったこともあり(南スペインの夏ではこれも重要)そこを祈りの場所に選びました。

今回の祈りのツアーの最初の動機は、これまであった「西洋の植民地化は異教の習慣をこわし、言語を統一し、文化をある程度均質化したので有益であった。」という視点に対してただその理解だけでよいのかという疑問を投げかけることから始まりました。

スペインを回った後の今でも「植民地支配というものは福音拡大の為に神が容認されたことである。」という解釈が有効であることがわかります。もしそうでなければ神の主権そのものにけちをつけることになります。

しかし、そういった前提の上に立ちつつもこの「父の時代」において私達がどのような視点を持ち、立ち上がっていくべきなのかを探ることがこのツアーの大きな意義のひとつでした。

それは植民地を求めてどうしてスペインが出て行かねばならなかったかということやどうして国々が争うのかという理由を知ることであり、それはこの現代の私達にも通じる重要なテーマです。

ただ、その大きなテーマについては2日後のカディスでのとりなしに譲ることになります。

私達は順序良く祈っていく必要があるのです。


賛美をする中で主の麗しい臨在、聖霊のそよ風を感じました。

そのとき、500年の歴史をめまぐるしくさかのぼることを感じました。

その時に強く感じたのは植民地支配の世界の中心地だった場所へ出る杭となり、その後、植民地支配の歴史を終わらせた日本からとりなしに来たことそのものに大きな意義があることです。

「植民地支配を終わらせた」という表現は何度か言及しています。それに対して違和感を感じられる方もおられるかもしれません。誤解が生じないように、詳しい説明を後日したいと思いますがタイやビルマの国家元首達の言動は戦後の歴史認識にバランスをもたらすことでしょう。


神は搾取されたラテンアメリカ諸国の民の苦しみをご存知であり、悲しんでおられました。私達が歴史を振り返る、あれやこれや批判するよりもはるかに大きな情熱をもってラテンアメリカ諸国を愛され、民の苦しみ、失われていく魂を嘆いておられました。

先の紹介した「御使い」の一人のガブリエラは中米のグアテマラの出身です。聖霊に満たされた彼女はスペインに留学中に当時未信者だったスペイン人のミゲルと出会い彼が救われた後結婚しました。

スペインのクリスチャン人口は5%ほどのようですが、人口の10%〜30%(国による)がクリスチャンといわれるラテンアメリカからの留学生、ビジネスマン達によってスペインが宣教されています。

またリトリートでであった十数家族のメキシコからの宣教師達もかっての征服者であったヨーロッパを福音によって征服するためにやってきたのです。

世界最長のリバイバルといわれて成長を続ける奇跡的なラテンアメリカのリバイバルの理由がここにあると思います。主はかって流された血にむくい奴隷であった民の子孫を通じて福音によってスペインを初めヨーロッパ諸国を征服されようとしているのです。

私達は来るべきしてこの地に来たことを感じます。そのような神の新しいサイクルの潮の変わり目を確認し宣言するために植民地支配の歴史を終わらせた日本から私達を遣わしてくださったのです。

私達はこの歴史の流れの転換の時代の真っ只中に、この歴史の流れの出発点に立っているのです。


宣言の言葉

ここにある寛容のモニュメントにあるがごとく、先人がこの場所に打ち立てられた祈りと宣言にあるごとく私達もまた、この場所において「時代の転換」を宣言します。

神がこの街の罪から発し流された血に報い、それを呪いではなく祝福として現在ラテンアメリカからクリスチャンが霊的にレコンキスタ(再征服)するためにヨーロッパに押し寄せている。

それゆえ宣言する。セビージャが、スペインが、そしてヨーロッパが神の福音の祝福の渦の中に巻き込まれていくことを。

義の太陽がこの地に昇り「国々に対する癒しの翼」を宣言する。

ここに杭が打たれたことを宣言する。この杭は私達が明日から移動していくそれぞれの場所で打ちこまれ点が線に線が面になっていくことを宣言する。

4章に続く