4章:ウエルバ(コロンブス出航の地)

翌日レンタカーを借りてセビージャから西に100kmにあるウエルバに出発しました。ウエルバの向こうは数十キロ西に行けばポルトガルです。

歴史は古く紀元前にフェニキア人によって開かれた街です。人口は15万人ですがポルトガルの首都のリスボンですら人口は60万人ほどですから、とりたてて小さいわけではありません。スペイン最古のサッカーチームである「レクレアティーボ・ウェルバ」の本拠地であることなどに歴史を持つ街であることが現れています。

高速道路を降りた後、河口付近に川べりにコロンブスを記念する巨大な像が立っているのを見ました。高さはテレビ塔の展望台部分ほどの高さがあり、大きいとは聞いていましたが確かに大きい像です。

パロスはウエルバに隣接した町でコロンブスが第一回目の航海に出航したのはこのパロス港です。観光事業の一環で博物館が整備されサンタマリア号などの第一回目の航海に利用された三そうの船のレプリカがあります。

残念ながら月曜日は博物館の休館日の為に情報収集の為のラビダ修道院や博物館にも入ることはできませんでした。ただし、カラベル船埠頭と呼ばれる場所にある復元された船は敷地の外からも見えるので、外側に回り見ることができました。


このサンタ マリア号を見た第一印象は「小さい」です。全長32m、全幅8m。これは未知の大洋を渡る船としてはかなり心細い大きさです。辞書によるとカラベル船の意味は「三本マストの小型帆船」です。ですから確かに小さいのです。

15世紀にはまだ「海の果てに行くと、白人も黒人に変わる」「地球は平面で、その果ては断崖絶壁」などという迷信が信じられており不安と疑心暗鬼にかられた船員を従え航海を継続していくことは非常に強い意志を必要としていました。人格という点において彼の評判は悪いですが、その勇気は評価に値すると思います。


コロンブスがなしとげた歴史的偉業には、その有名度とは裏腹にさまざまな『ただし書き』がついています。

「コロンブスは、歴史上初めてアメリカ大陸を発見した航海者」

と一般に知られていますが、実際には

「彼はアメリカ大陸に到達できずに、行ったのはアメリカ海域の島々だけである」

ということが後にわかりました。

しかしさらに

「もともとそこに人が住んでいたのであるから歴史上初めてではなく、ヨーロッパ人として初めてというべきである。」

し、そのうえ実は

「実際にはヨーロッパ人としてバイキングがさらに500年も前に到達していた。」

そして、さらに困ったことに

「彼は生涯そこが東アジアの一部であると信じていた」

そういったこともあり、新大陸にコロンブスという名前はつけられず、後に探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名にちなんで「アメリカ」という名がつけられたのです。


とはいえ、ヨーロッパ諸国が西回りで南北アメリカ大陸に至る道を開いたのは彼であることには間違いがなく、歴史的に非常に重要な人物であることには間違いがありません。

良い意味においても、悪い意味においても歴史を転換させた第一歩を送り出した重要な港に私達はそこに立っているのです。


博物館は休館でしたが、おかげで周りに誰もいない環境で静かに黙想し、船を眺めることができました。船が近くで見れる場所に立つとそこは川を挟んではるか遠くに先ほどのコロンブスの像を見ることができる最高のロケーションです。木陰があることもあり、ここでとりなしの祈りをすることにしました。

この場所からコロンブスは船で旅立ちました。

世界の植民地支配はこの港を出たこの小さなコロンブスの船団から始まりました。そして、植民地支配を終わらせた日本、日の昇る国からとりなしのミッションを携えて私達はここに来たのです。


祈りと宣言の言葉

「義の太陽の旗」を掲げながら。日の昇る国に与えられた「グ□ーバリズムの流れを変えるためにこの日本が用いられるのです」(これについてのメッセージ2009年3月)という約束が成就することを宣言する。

またオリーブ油をこの地に注ぎ地の聖めの祈りをしました。

初めが聖ければその後のすべてが聖くなる事を祈り、コロンブスをはじめ西欧の植民地化のために彼らが訪れたすべての足跡がきよめられる事を宣言しました。

霊的な意味で神にあるコロンブスが世界中で立ち上がることを宣言する。

危険をかえりみず、まだ未知の世界に出て行く勇士が立ち上がる。

多くの人は「それは危険だ」「おまえは馬鹿だ」というかもしれないが、時代の常識や枠組みにとらわれず立ち上がる民が起こされることを宣言する。

5章に続く