ユダヤの暦を尊ぶ事

エペソ人への手紙2章には異邦人とユダヤ人がひとつとされた真の教会の姿が書かれています。ここにユダヤ人と書かれている以上、ユダヤ人という存在がユダヤ人として存在していることは必要な事です。ですから、彼らの文化も尊ばれるべきです。

同様に、私は異邦人クリスチャンの文化も尊ばれるべきだと思います。私はもともとクリスマスにはあまり興味はなく「伝道のアウトリーチには有益だ」ぐらいにしか考えていませんが、それも良いものだと思います。なぜなら、それは教会の文化だからです。みなさんご存知のようにその起源は異教的なものですが、たとえそうであったとしても現在、各国の文化があがなわれ、福音宣教の為に用いられているようにそれらは尊ばれるべきです。ましてクリスマスは救い主イエスの誕生を祝うときですから尊重されるのは当然です。


話がここまで終われば「それではユダヤ人はユダヤの文化習慣に従い、異邦人は異邦人の教会の伝統を重んじましょう。」ということで話が終わってしまうように見えますが、実際はそれほど単純ではありません。

なぜなら、福音はもともとユダヤ的なものだったからです。新約聖書はギリシャ語でかかれたといわれていますが、聖書物語に登場する人々はユダヤ人でありヘブライ語を話していました。(※アラム語を話していたという説が一般的ですが私はそう思いません。)

ですから、新約聖書をギリシャ語で読んでもはっきりしない文章があってもヘブライの文化やヘブライ的な言い回しに当てはめてみるとよく理解できるのはそのためです。

新約聖書はヘブライ語で書かれた原文が編纂されギリシャ語に訳されたと考える方が自然です。(だからといって、聖書の神聖、完全さを疑っているわけではありません。これについては時間があるときに後日解説いたします。)

ですから、真の教会文化は、異邦人の教会であったとしても、本来はもうすこしヘブライ寄りであってもいいと思います。

私自身の信仰は本来、ローマ人への手紙14章5節に書かれている「どの日も同じだと考える人」の一人です。ですから「教会が本来あるべき姿がもう少しユダヤ的な部分があっても良い」と考えたからといって、今まで、イースターもペンテコステも、クリスマスも超特別な時と捕らえていなかったように、ユダヤの祭りの習慣を教会に取り入れなければならないと考えているわけではありませんが、これらの解説はみなさんに広い視野とバランスを与えると思います。


多くの場合ユダヤ暦と教会のカレンダーはほとんど同じです。教会暦では日曜日に祝いが来るようにずらしているだけで多くの場合、ユダヤ暦の五旬節(ペンテコステ)が木曜日にあれば、教会暦では日曜日にあるといったように数日の誤差でしかありません。

教会暦の復活祭もペンテコステも月の運行に合わせて決められているのでユダヤ暦とほとんど同じであるのは当然です。

ところが、今年(2008年)のように教会暦とユダヤ暦の日にちが一ヶ月以上異なってしまうのにはちょっと問題を感じました。

というのも、2008年の復活祭の日は偶然ユダヤ暦のプリムにあたっていました。そうとは知らず、半年以上前から、その日は「楽しそうなのでひとつ、ユダヤ人がやっているプリムの仮装パーティーとやらを教会でやってみるか。」と企画した後で、その日は教会暦のイースターと同じであったことに気がつかされたからです。

その問題を解決するために、同じ日に復活祭も一緒にして祝うよりも、キリストの蘇りについては翌々月の過ぎ越しの日に祝いたいと思ってしまった事は自然なことでした。

いずれにしても、たとえ日にちは違っても、復活祭もペンテコステも太陰暦に則ってなされており、イースターの50日後にペンテコステ(50の意味)があるのでしたら、教会の文化として十分尊ばれるべきだと思いますが、クリスマスに関してはちょっと事情が違います。

それは、そのルーツが異教的なものである事に加えて、現在多くの聖書学者が主張しているように、仮庵の祭りの時にイエスが誕生したのであるなら、やはり私はそのときにもイエスの誕生を思い起こしたいと思うのです。


2008年にマタイ・クルビラ師が札幌に来られたときに、教会にユダヤ文化を取り入れる事に対して警鐘を鳴らしていました。ちょっと極端な面もありましたが、私は彼の気持ちもわかります。ユダヤ化を進めるあまり、極端に走ってしまう例があるのも事実だからです。毎年イスラエルに行っている彼はあきれてみてしまうような出来事を見せられている事は想像に難くありません。

でも、だからといって、すべてを否定してしまっては、教会に与えられている霊的資産を生かせないと思います。


異邦人の教会はユダヤ人のカレンダーの習慣を取り入れる必要はありませんが「過ぎ越し、ペンテコステ、仮庵」すなわち「十字架の日、教会の誕生日、救い主の誕生」に関しては意識して良いと私は考えます。

ユダヤ暦の新年(9月)も霊的に意味があると私は思います。札幌CGでは9月に霊的な意味で新しいビジョンを分かち合い、

1月の新年にイベントの企画を新たにします。それはもしかしたら、日本人が1月の新年と4月の新年度の2つの新年の概念を持っている事に似ているかもしれません。