歴史は神の容認の中で作られるが書くのは時の支配者である。(11/08/31)
HistoryとかいてHis story(彼の歴史)と解く。
彼とは神のことであり、歴史を作られるのは神である。
これは興味深い表現であり、神の主権を宣言するにはもってこいの言葉かもしれません。
そのことばはユーモアとしては面白いですが、歴史をバランスよく知るためには不正確な言葉であり、間違いも含まれています。歴史を正確に知るには実際には2つのことを知らなければなりません。
ひとつは「歴史とは神の容認の中で作られる」という事実であり、「歴史を書くのは時の支配者、しかも表の国家ではなく裏の支配者である。」ということです。
神は、歴史の要所要所で修正を加えられます。神は最終的に人類が行きつく先を持っておられ、それに外れないようにするためです。
この世に悪が増大したときに神は大洪水によって介入されました。その他、人知では計り知れなくても数多くの介入を神はなされてきたことでしょう。そしてもっとも大きな介入は御子イエスキリストをこの地上に送られたことなのです。
しかし、だからといって、神ご自身が歴史を作られたわけではありません。神はこの地上を人に与えました。人が罪を犯した後も、それは変わりません。ローマ11章29節の言葉の通りです。
ですから、神は結果的にはすべてを益として下さる(ローマ8章28節)神ですが、この地上で起こることのすべては神の御心ではなくほとんどは人の決断によるものです。
神はこの地上を人の決断を通じて治めることを決められたからです。
それは、私たちが知らされている歴史は真の歴史ではないからです。
歴史は常に、時の支配者によって書かれ、自分に都合の悪い事は闇に葬られてしまいます。
日本にキリスト教が入ったのは150年前のプロテスタント宣教でなければ、450年前のカトリック宣教でもありません。千数百年以上前にすでにキリスト教は日本に入ってきておりました。
その当時、中国では景教と呼ばれるキリスト教の一派が広まっていたのですから、日本に入っていたとしても、ぜんぜん不思議な話ではありません。
浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺には、景教の聖書の一部(マタイによる福音書の「山上の垂訓」を中心とした部分)の漢訳である『世尊布施論』が所蔵されていることからもそれが伺えます。
このことが闇に葬られたのは、仏教にとって都合が悪かったからなのでしょう。
それについて知るためには「終末における正しい世界観の学び(1)」を最初から読み直してください。
過去の歴史もそうでしたが、現在進行形の歴史はマスコミと世論をコントロールという捏造によってリアルタイムに行われています。
たとえば今日盛んにリビアのカダフィー大佐に対して独裁者という言葉を用いることによって悪いイメージを植えつけようとしていますが、彼がいったいどのような悪いことをしたのでしょうか。
アメリカを中心としたNATO軍による内戦介入の理由は何でしょうか?一言でいうなら、リビアをアメリカがのっとり傀儡政権を作るためです。
リビアは他のアフリカ諸国と大きく異なります。
1)アメリカアフリカ軍(AFRICOM)に参加していない。=軍隊がアメリカの言いなりにならない。
2)アフリカ一の石油の産油国です。
3)アフリカ一の豊かな国です。
カダフィー大佐が何かをしたとしたらそれは、アフリカの富が世界に流れないようにアフリカの共通通貨を作ろうとしたことでしょう。
以下Youtubeへの外部リンク
それはドルやユーロの地位を脅かすもので「支配者の代理人」にとっては絶対に容認できないものでした。
上記のYouTubeの映像はアメリカのテレビ放送のコピーです。まだ、アメリカにこれらのことを報道する自由があることを見ると同時に、そのような事実が明らかにされて、このリビアへの介入が不当なものであることを知りながら何もできないのは歯がゆいものです。
ただ、この「父の時代」において、的確に未来を見ていくためには、手放しに民主化を喜ぶだけでなく、バランスよく歴史と現在何が起こっているのかを知る必要があるのです。