RVではあるが私が新改訳を支持する理由 20/03/05

先に、新約聖書を各国語に翻訳するためのギリシャ語の底本に大きく分けてTRとRVの2種類があり、TRのほうが正しいというトピックを書きました。

そして、新改訳聖書は正しくない方のRVを底本としたものです。

にもかかわらず、私が新改訳聖書を使っている理由は、今日一般的に市販されている日本語聖書にはTRをベースとしたものは出回っていないからです。

日本語で聖書を求める場合、さすがに文語訳というわけにはいきませんし、口語訳は古いこともあって不正確ですし、カトリックと共同で翻訳された共同訳というわけにもいかないので、必然的に新改訳聖書の他には一般に出回っている聖書の中では最良の選択支がないというのも事実です。

現在、TRを底本とした「現改訳」という聖書が翻訳中なのですが、もうすぐ完成といわれながらも、資金難もあってなかなか進んでいないようです。
他にはエターナルライフミニストリーがTRをベースにした新約聖書を発行していますが、一般的ではないので使用するのに向いていないと思います。

また、エターナルライフミニストリーがケネスヘーゲンの教えを支持しているので、私はあまり宣伝したくないです。

ですから、私の教会では他の多くの福音派、聖霊派の教会がそうであるように新改訳聖書を使用しております。
また、2017年版(第4版)はかなり多くの点が改良されているようで、満足度は上がっております。
また、以前、記事で書きましたように、信仰をきちんと持っているならRVをベースにした新改訳聖書でも大きな問題ではない理由についても「TR底本とRV底本」という記事の中で書きました。


さて、その新改訳聖書ですが、実は、幾人もの信仰者が立ち上がることが無ければ、実はもっと悪いものになっていた可能性があったのです。
手短に話しますと、新改訳聖書の完成の経緯には妨げがあり、それを克服して今日に至っているのです。
私が新改訳聖書に愛着を感じる理由のひとつは、この聖書は信仰によってサタンの手からあがない出された聖書だからです。

この聖書は1970年に初版が発行されました。
事情が詳しい人であるなら、この翻訳の著作権がどこにあるのかでロックマン財団と裁判になった出来事をご存知かもしれません。
しかし、この問題の本質は日本の代表が契約に疎かったことや著作権の問題ではありません。
実際に起こった出来事は、それ以上の信仰の戦いである、ひいては霊的戦いでありました。

新改訳聖書の構想が出来たとき、日本中から翻訳するための学者、牧師が集められました。そして、それに対して、ロックマン財団が多額の献金をすることになりました。

しかし、それは好意からではなくロックマン財団が翻訳委員会をコントロールするためでした。
実際、ロックマン財団がしようとしたことは聖書原典からの翻訳ではなく彼らが持つニューアメリカンスタンダード訳(NASV)の日本語版を作ることでした。

彼らが新改訳聖書のお手本にしようした(NASV)の翻訳がいかに不正確であったかはこの「フランク・ログズドン博士」という記事にあるように、 その翻訳の責任が、人生をかけて告発しているのを見ればわかります。

その悪意に気がついた新改訳聖書の翻訳委員会はそれから抜け出そうとしたのですが、ときすでに遅し、筆舌に尽し難い戦いを要したのです。
結果を言うなら億単位の和解金を支払うことによって著作権を取り戻し問題は解決されたのですが、しかしそのあおりで金銭的に苦しくなってしまったのです。

このような歴史はあまり表にであることはありません。
このしだいについては、新日本聖書刊行会のホームページにひっそりと掲載されています。
https://www.seisho.or.jp/archives/about-ssk/ (魚拓リンク)
ただしロックマン財団の悪意についてはソフトに書かれているのでわかりにくいです。それが「筆舌に尽し難い戦い」であると書かれているにかかわらず。

新改訳聖書はけちだという意見もありますが、そのような形で多額の借金を負ったところから出発したことを考えると、そのぐらいは許容したくなるものですね。